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Column

弱法師

 「原三渓の美術」を観に行った。横浜美術館は東京に出る際の乗換駅であるのでこの美術展を最初の頃大々的にプロモーションしていたが、取り立てて観たいものがなかったので行くつもりはなかった。が、NHKの日曜美術館をみて、残りあと10日くらいしかないことを知り暑い最中に出かけた。考えてみれば、そんなに面倒なことはなかったがあまり惹かれるものがなかったからだ。私の中では原三渓と益田鈍翁を混同していたところがあり、宗達の西行法師絵巻でも出ていたら観に行こうと考えていたが、出し物を見る限り、当然ながら、それが出ないので行くつもりがなかったのである。また、同じように三渓園も近くにありながら行く気が起きなかった。
 原三渓は生糸を生業として明治期に財を成した人物で世界遺産である富岡製糸場の持ち主でもあるが、そこが世界遺産となった理由も歴史的遺産としてあの工場を捉えた、三渓の先見性が産業遺構として奇蹟的にあの工場が残った理由の一端になったのかという思いにかられた。これは定かではないが三渓園に残された、文化財に近い発想がないと富岡製糸場の奇蹟は生まれない。そんなことから今秋にでも三渓園に行こうと家人と話しているところである。
 ただ、原三渓のコレクションではこれはというものはあまりなかったというのが正直なところであった。本タイトル以外はである。「弱法師」は下村観山の名品である。今、思い出しても背筋が震えるような作品である。その背景にはこの何ともわからないようなタイトルのオリジナルの物語を知ったので、それによって倍加されたことは間違いない。
 弱法師(よろぼし)は謡曲から取った主題でその物語も感動的である。人間の弱さ、愚かさと仏の慈悲によってそれを克服する様は何とも感動的である。文献を読む限りでは伝説と謡曲の展開は若干違うが私は謡曲の方がなんとはなく好みである。伝説の方は勧善懲悪のめでたしめでたしのような気がするからだ。
 下村観山の名品は盲目の弱法師こと俊徳丸が日想観から得た法悦に感謝している様を描いている。赤い夕陽が八曲屏風の下部に描かれていることに遥かな極楽浄土への隔たりを描き切っており、盲目の俊徳丸の行き着いた至福感を見事に表している。下村家は代々の能楽の家系なので、弱法師の発想は無理のないところである。私は謡曲にも、能楽にも全く疎い人間だが、唯一、知っている「鉢の木」にしても今回初めて知った「弱法師」にしても何となく、静かな感動を覚えるのは古来日本人の中に流れている血のようなものなのではないかという、不思議な感情を覚える。
 
 原三渓はコレクターであるが、見事なものはやはり三渓園なのではないか、30年以上も近くに住んでいながら一度も行ったこともないという怠慢は別にして、テレビの紹介番組を見る限り、廃仏毀釈で風前の灯火であった建造物を移築するという発想は原三渓ならではのもので、その是非に関しては異論もあると思われるがあの廃仏毀釈の際の当時の状況を知る限り、よくぞやってくれたとしか思えない。たとえば、現在国宝になっている奈良の興福寺を例の取ると、この五重塔の価値はここに使われている金属、銅、真鍮、鉄しかないのだから、それを簡単に採集するには五重塔に火をつけて燃やすことが一番よいと、そこに住していた坊主が述べたというから、とんでもない時代を今残っている仏教建造物は潜り抜けてきたのである。
 そのような中で原三渓は移築を試み、本来とは違う形ではあるがあのような形で残したのである。私が驚いたのはその中の一つに近くの東慶寺の仏殿があったということであった。今の東慶寺に行くとどこにそんな仏殿が建っていた場所があったのかと思うくらい狭い敷地なのだが、どこの寺もそうだが昔は信じられないくらい広い敷地を持っていたのである。
 原三渓のコレクターとして、またアーティストとしての才能を非凡なものにしている証が三渓園なのではないかと思う。というのは美術展では三渓の絵がたくさん展示していたがそれらの絵は同様の大家の絵と比べると仕方のないことだが見劣りする。だが、三渓園こそはまさに大家たりえるものであると思わざるを得ないからだ。比べようがないスケールの大きなもので同様のものが思い浮かばない。
 原三渓に関して私が一番感動したことは三渓の晩年、後を継ぐべく倅を失った際に三渓園で法要に訪れてくれた人もてなすために提供した浄土飯である。初めて知ったことなのだがハスの実をいれて炊き込んだご飯を倅が浄土に旅発つ贐としてみんなと食したのだろう、ハスの花に盛られた浄土飯の美しさに原三渓の美学が収斂されていたように思えた。
 三渓はその2年後に旅発つのだが、その間、三渓はどのような日々を過ごしたか定かではない、しかし、私にはその浄土飯に原三渓の美の頂点を見たような気がしたものである。

                                   泉 利治
2019年9月2日
 
 

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