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Column

五山の送り火

8月16日は五山の送り火の大文字焼きの夜である。大文字焼きという単なるイベントかと思っていたがそんなものではない。今から三年くらい前にこのイベントを見るために京都に出かけた。たしか、一年前に予約して喜び勇んで出かけたが、全てを見ることができる部屋を確保できず、妙法、船形、左大文字、鳥居だけを部屋で見たが、メインの“大”は見損なった。
 昨夜は五山の送り火を一時間くらい前から放映しており、その準備から点火する様を現場と遠景の双方から楽しむことができた。それにしても人工の光のイベント、レーザービーム演出やプロジェクトマッピング、コンピュータープログラムによる花火など近代的な光の演出に比べるとなんとも有史以前の方法。地面に木や藁を置いた物に火をつけるという、最も原始的な方法でこれだけ多くに人が感動する光の演出に驚くとともに、そこには単なる奇をてらったパフォーマンスを超えた深いものがある気がしないではないと何となく思えてしまった。
 たしかに政令指定都市の全域から見ることができる光のパフォーマンスというのが凄いのだがそれだけではない。点火されると京都市内はできるだけ消灯して街自体が暗くなり送り火だけが漆黒の中にくっきりと浮かぶ。そして、その光に導かれてここで亡くなった無数の霊が彼方に還っていくのだ。昨夜のテレビをみてそんな思いにかられた。
 私は京都の寺の墓地を調べる必要からいくつかの寺や墓地を訪れたがその量に圧倒された。人間の死がこれだけの量感をもって迫ってくる場所はない。それはその墓地のスタイルにもよるのだろう。我が家は鎌倉霊園だが、ここは整然と広い敷地に墓石が並んでおり量というより面積がただ広いという感じなのだ。したがってマスという意味の量で迫ってくるものはない。ところが以前、大谷本廟を訪ねた時、その三次元の墓の量に圧倒されたのを覚えている。墓地の地形も平坦ではない上にさまざまな規模の墓が無秩序に隣り合っており、その様はまるで墓地の石材置き場の様相を呈していた。その時はそれらの間を縫うようにして九条武子の墓を訪ねたのだが、そのような墓地ゆえの余裕のなさか西本願寺の御令嬢であり、社会的にも知られた人物の墓にしてはえらく小さい墓だなと思った。それだけ京都の墓は平等なのかもしれない。記憶が定かではないがその墓地からほど近いところに有料道路が走っており、その向こう側にも寺院や墓地があったようであった。このあたりはいわゆる鳥辺野と言われた、古来墓地があったところであり、人の死が幾重にも積み重なった地であるのだなと思ったが、そう考えると信じられない死者の量を感じたものであった。
 今回のテレビライブ中継で彼岸から訪れた霊が還っていく様は五山の送り火と共に1000年以上の間に京都で葬られた、無数の霊が天に上ることを考えると驚き以上にその漆黒の荘厳さに言葉を失ってしまう。京都はそういう観点で見ると死者の街といえないことはない。あの街の独特な情緒的なものは死と隣り合っているからこそ美しいのではなかろうか?
 京都は寺が多いのではと思い調べると大阪や名古屋の方が多いとのことだが、いわゆるあの京都市街という盆地内に限るとその密度はかなり高いのではないか。そしてその周辺に化野、蓮台野、鳥辺野という古来からの埋葬地がある。平安京で亡くなった人たちを埋葬するために、それもそんなに離れていない場所に葬ったのである。その距離感に微妙な日本人の死者に対する感性のようなものを感じないではない。その始まりは風葬の地であったらしいがそのあたりは今後の研究テーマにしたい。
 ただ、かなり後になってと思われるが市内の寺に墓地を所有するようになったのは寺院の新規事業ゆえではなかったのかなどと考えてしまう。というのは市内の寺院に墓地を持てるのは選ばれた人かその家族に限られていたと思われからだ。以前、頂妙寺で俵屋宗達の墓を調べたとき、その墓は京都の上層町衆と言われていた蓮池家や喜多川家などに関連した一族の墓が多かったからである。驚いたことにそれらの一族は連綿とそのポジションを守りつつ400年経った現在でも新しい人の名を刻んでいるのである。
 最初に京都に通い始めた頃、郊外に行って感じたことが、なんと豪邸が多いのだということであった。東京の感覚でこの豪邸を見ると世帯主の財産の規模が分かるのだが、その量が多いように感じたからだ。その理由を一度、京都出身の我が家を担当していた証券会社の営業課長に聞いたところ明確な答えが聞けなかった。しかし何回か京都に通って分かったことは要するに代々受け継いだ資産があるからなのではないかという理由が納得できる。たとえば東京でも高級住宅街に家を構えている人たちの多くは親の資産を受け継いでいる人が多いからだ。
 以前、東京の老舗和菓子メーカーの社長から聞いた話で“わが社は今年で創業200年になりますと言っても、京都の人には「まだ200年どすか?」と言われる・・・”という話を聞いたがその通りなのであろう。うがった見方をするとそのような豊かさが多くの人を京都に惹きつける隠れたる理由になっているに違いない。旅行者にとってそのような豊かな非日常的な瞬間を味わいたくて旅行をするからである。

 今回、五山の送り火を見ながら・・・そういえば最近何か京都のイベントがあったな?
と言ったら“先月、祇園祭があったじゃない!”とすかさず家人が言ったのを聞いて、丁度、一月前だったな?・・と思い出すと同時に、さすが古い街だなとあらためて感じいった。こんな大イベントが毎月あるなんて歴史の厚みがないと不可能だからだ。
 自由の身になった暁には京都で一年位過ごしてみるのが現在の最大の夢である。このたび最後になるかもしれない京都に関する格好の研究テーマを探し当てて、これはかなり地域を調べないと書けないテーマであるので、京都の町を歩き、図書館や資料センターなどで様々なことを首っ引きで知らべる必要がありそうだからである。
                                文責:泉利治
2019年8月26日

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