ブランドワークス

Column

高齢者ドライバー

 いつの間にか高齢者ドライバーになってしまった。とはいっても免許証を返納する予定は今のところはない。ただ、社会を敵に回している?ことは確かなのだが、基本的に自分で判断すべきテーマである。というのは自動車運転は自主的に資金を投入して国家資格を取ったものであり、なんら問題を起こしていない以上、誰もはく奪することはできない。
 一般的な論調として地方に行くと、高齢者にとって自動車なくして生活が成り立たないところが多く、まさに命に係わることであり一概に高齢者の事故を取り上げて強制的に返納すべきだというような論調はナンセンスとしか言いようがない。いずれにしても決め手がないのが現状である。アイデアとして国家が免許証を買い取るというのは一理ある。資本を投下したしたのでたとえば一律10万円で買い取ると言ったら、返納する人は増えるかもしれない・・・・?
 私は昨年、高齢者ドライバー研修を受けて免許証を更新した。成績は一般成人男子と変わらないという折り紙をいただいたが確かに、周りの何人かはそのテスト状況を見る限り運転に支障がありそうな人がいたのは確かである。パソコン上のシミュレーションでまともに角にぶつからずに運転操作をできない人を間近に見て、この人、なんでこんなにぶつけるのだろうと思ったが、パソコン上の運転シミュレーションの仕方が分からないのではないかと疑ったくらいのテスト風景なのである。
 私は3時間かけてこの研修を受けたのだが、実地テストで脱輪一回、と一時停止違反が一回で無事に済んだ。運転した後で教官からそのような指摘を受けたが、脱輪に対しては
この三十年左ハンドルの車しか運転しておらず、左ハンドルの車を用意してほしいと訴え、一時停止違反は向こうから車が来ていないではないか?という真っ当な半世紀前にしたような主張をしたが、でもこのような標識があるだろう?というような真っ当な教官の反論であっけなく実地テストは終了した。
 私が自動車運転にこだわる理由は一つ、運転が好きだからである。昔から自動車が好きでスーパーに家人を乗せていくだけでも楽しいのである。そんなことから昨日久しぶり親戚が住む古河に車で出かける前夜は遠足に出かける小学生のように眠ることができないくらいであった。
 古河に行くには少し前は第三京浜⇒首都高⇒東北自動車道というルートだったが最近は茅ケ崎から圏央道一本で事足りてしまう、その間、制限速度100kmのところが何か所かあり高速車を持っているドライバーにはうれしい道になる。しかし、昨日は高齢ドライバーらしく最高速度は130kmだったので社会規範を遵守したドライバーとして振る舞った次第である?
 ただ最近感じるのは、以前に比べると自動車を擦ったり、ぶつけたりすることがなくなったことだ、それは高齢ドライバーの劣化の特徴であるが、私はそれゆえか以前より注意深くなったのだ。また、その理由の一つは自動車が超キレイなので、それを保ちたいためである。シャッター付きの車庫に入れているせいか11年目に入った車にしては一見、新車?と言われるくらいなのである。運よく私のBMWは現在の基本デザインモデルなので、とくにそう感じるのかもしれない。また、以前にくらべ車種が増えたので、全てのモデルが似たようなデザインになり、その中に紛れてしまうのであろう。その上、黒のボディカラーの洗車後の美しさは新車と見間違うがごとく美しく輝く。
 
家人から定年退職をしたのだから、もう一度、東北に車で行きたいね、といわれているし、北海道にも行きたい。以前、小説を書いた際にストリートビューで運転して出かけた奈良近郊も実際に走ってみたいと思うからだ。究極はノルウェーのベルゲンから北極海沿いの町を経て限りなく北極点に近いところに行くことである。今でもそのドライブは忘れられない。 
海岸沿いのその道は陸地と海を渡る橋と島で交互に構成されている。人家はまばらだが美しい低い灌木で茂った緑の間を抜けていくドライブは正直、免許証を返還した後にでも楽しもうと思っている。是非、このドライブはお薦めしたい。本当に楽しい、のどが乾いたら、途中のドライブインでひと休みすればいい、最近はレストランやお店の中もビューできるようになっているからだ。そして、運転する自動車は何でも選べる。フェラーリでもアストンマーチンでも、私は今の愛車で十分だが・・
 以前、福島の飯館村をまだ解除されていない時に縦断したときの殺伐とした風景が忘れられない。人も少ない人家の間を通り抜けて走った記憶、その後、南三陸で見た鉄骨だけの市庁舎、あのような体験が出来るのは自分で運転したことでしか叶えられないものである。自然と生活が見事に調和している日本の村々の美しい風景は見応えがある。
 
高齢者ドライバー対策としていろいろな意見が百出している。最近、例の池袋の事故の現場検証で元通産相の高齢ドライバーが映し出されるが、彼を見て思うのは歩くのもままならない人であったことである。これは矛盾する意見のようではあるが歩くのもままならない人が自動車を運転するというところに根本的な問題がある気がしないではない。
 自動車は決してそのあたりをカバーしてはくれないということである。基本的に通常の運動能力と判断能力を必要としているだけでその辺りを自動車に期待することが基本的なあやまりのような気がしなではない。私は自動車を運転する以前に自転車を乗ることができるかどうかを一つの目安にするとイイと思っている。多分、池袋の高齢者ドライバーは自転車に乗ることができなかったのではないかと思われる。
 自転車に乗るためにどんなにか練習したかを考えると、本来、立っていることが物理的にむずかしい自転車を前方に進ませる運動でそれを可能にするために無意識な人間の身体機能をフルの活用する能力は正直、自動車のアクセルとブレーキの操作などより格段に高等な能力を使っているはずだからである。
                                 文責:泉利治
2019年8月12日

Share on Facebook