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Column

解んない世の中

リタイア生活を楽しんでいた人間が突然、むかしの生き馬の目を抜くような経営コンサルティングの世界に引き戻されて3年経ち、ようやく古巣に戻れるような安堵感が支配し始めた。一番驚いたことはこの3年間で以前ブックマークしていた先が消えてしまったことである。たとえば京都の古地図の平安初期から、時代が新しくなるまでの複数の古地図が記載されていたサイトがNot foundになってしまった。そこで、当時、俵屋宗達の研究をしていた頃、発見したブックマークを調べてみると確かにいくつかは使えなくなっていた。とくにその古地図のサイトは超便利だったもので、正直困ってしまった。そこで昨夜慌てて、京都マップ桃山時代なる本を注文した次第である。何か月前に購入して読み始めた「本阿弥行状記と光悦」のページが先に進まずに焦っていたところであった。
 仕事をやめたら真っ先にHARVARD BUSINESS REVIEWと日本経済新聞は止めようと決めていた。これらを読んで常に新しいことに対する感度を高めていなければならないことに疲れたというのが正直なところだ。たしかに私の職業はそこが生命線であることは分かるがそれが私個人の嗜好や価値観に合うものかという点では別物であるからである。個人的にはAIやシンギュラリティなんてなことはどうでもよい人間で、そんなことより光悦に鷹が峰を与えた家康の真の狙いは何だったのか?の方が私には興味があリ、重要事項なのである。
 このあたりの価値観は先天的なもののような気がするが、そんなことも考えずにデザインというような世界に身を投じたのが若気の至りということになってしまうのだが?というのは私が人生の最初の岐路に立った時、左側の道が先行きが分からないデザイナーに至る道であり、そこがなんとはなく魅力的に感じたのでそこを選んだだけで、何とも当時の気分では人とは違う道という感じに新鮮味を感じただけである。そんなことを思ったきっかけは特に最近、解んないことが多すぎるからだ。こんなことがあった。“デジタル化”この意味が分からないで困ったことだ。これって何なのだろう?アナログとデジタルは何となくわかる。私の理解では前者はレコード盤で音楽を再生する技術、後者はCDで音楽を再生する技術。しかし、私の耳にはその違いは分からない。デジタルCDの方が雑音がない?程度である。そこから、少し進化した理解はアナログコピー機とデジタルコピー機の違い。アナログコピー機はコピーしかできないがデジタルコピー機は同じ大きさでもその他に電話機と繋いでFAX にもパソコンとつないでプリンターにもなるという複合機になった。値段もそんなに変わらずにそんな便利なコピー機がデジタル技術で可能になったということなのだ。“デジタル化”とはそのような便利な技術の可能性を言っているようである。
 と、ここまで書いて、このような解釈ができるようになったことはデジタル化について、ある程度の輪郭を掴まなくてはならないという切羽詰まった状況に置かれたからだ。たいしたことはない私の理解と解釈だが、私の頭脳ではこれが限界だ。
そのヒントを与えてくれたのは何日か前の日本経済新聞に載っていた特集記事、エストニアがデジタル社会をつくり上げて生産性を高めたという話である。こんなことであった、エストニアでは人が生れ落ちると直ちにいわゆるデジタルカードのようなものを持たされる。そこには本人の情報から、健康保険証、運転免許証、銀行通帳など生活の情報から選挙権など様々なものが付け加えられる。たしかに個人の全てが国家に握られるということで、その良し悪しは別にして、いろんな点で便利なことは間違いない。
 私はそうか!それがデジタル化を国家が取り込むこむメリットなのかということが分かった次第なのだ。たとえばこんな風に展開できる。私のプロジェクトで慶応大学の学生の90%近くが生協カードを持っている。そのカードは2万円を先に出資金として提供して会員になるのだがそのカードを持つと学校内の売店で売っている商品や、書籍、教科書が安く買えると同時に街中で使えるので一種の学生証の機能を持っており、それが社会に出た先輩とのつながりのキッカケを与えたりすることで、人生の様々な機会を与えてくれる。そのような体験を通して、学校に対するロイヤリテイの醸成にもつながるということになるらしいのである。
 いわゆる、デジタル化とはそのような最先端の機能を実社会における便利につなげるものなのである。ビジネス的に言えばそのような機能の新しい価値を発見し先に活用することで自社の競争優位を確立することである。たしかにアマゾンのビジネスやFACEBOOKのそれも同じまな板の上に載っている。
 私に言わせれば、いわゆるデザイナーや戦略プランナーの理解はその程度で十分なのである。つまり、AIやデジタルについてクラッチがつながっている状態にすることなのである。ニュートラルの状態でアクセルをいくら踏んでも車は動かないからだ。でないとそれを実社会でだれよりも早く使って競争優位を作り出すことなどできないだろう。
 以上のプロセスには2つの面倒なことがある。まず、何らかの新しい概念を理解すること。次にそれをある事象に応用できることである。その最初のところが面倒で時間がかかるが、面倒でもそれを知らないと仕事に差し仕えた、また、知らないことで能力を疑われた。こんなコンサルタントにお金を払う価値があるのか?などと思われたらおしまいである。したがって、このような仕事から解放されたらそのようなことからも解放されることになる。 
 ただ、好奇心としてこのあたりを失うとあまりいいことはないかもしれない。たとえば、何回かテレビのドキュメンタリーで見たことがあるのだが、自分たちの戦争体験について、自分で調べている人がその話を資料を基に話してくれる際の内容が見事で、ついて身を乗り出して聞いてしまう。後でその人の年齢が92、3歳と知りびっくりする。話す内容、言葉、その情熱はその年齢には似合わないからである。好奇心、故なのだ。
                                文責:泉 利治
2019年7月29日 

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