ブランドワークス

Column

 73歳の同窓会

誰かが小学校2年生の時の担任の先生は誰だったかな?と言うことを聞いて、誰かがそんな65年前のことは分からないよ?と言った。「65年前・・・?」しばし、絶句した。
だれもがその時、その時間の長さに絶句したようであった。小学校の同窓会が3年ぶりに開催され、13人が集まった。みなそれなりに健康のようだ。
 この小学校に私は転校生として3年間お世話になった。しかし、決していい思い出はない。ただ、クラスメートとは何とはない思い出がある。いい思い出がないのはその間お世話になった二人の担任教師のせいである。したがって、思い出の強さ、大きさから判断するならばこの二人の担任は私の人生にとってもワースト4に入ると言って過言ではない。しかし、その彼らも亡くなってしまった。小学校の教師ということを考えると大学を卒業してから就任すると早くて23歳、6年生が12歳なのでその差は11年、もう一人の先生がもし健在ならば84歳になっているはずである。しかし音信不通?同窓会開催に熱心な幹事連が探そうとしないのはそんなにいい先生ではなかったからだろう。
 いつも来る常連のH君が見えなかった。誰かが一月に亡くなったそうだといった。というのは昨年末の中学校の同窓会に来ていたからだ。その時、入口のそばに座って、ニコニコと周りのクラスメートだった人を見ていたからである。考えてみればその時、小学校からクラスメートだったのは私くらいなのではないか。しかし、どうにも話ずらかった。その理由として思い当たるのは6年生の時の担任教師から、彼とはあまり遊ばないようにと言うような事を言われたからであった。その理由を聞いたがそれがなぜそんな注意につながるのか分からなかった。小学生の頭では理解できなかったからだ。微かな記憶としては彼の家庭の問題であったようであった。それにしてもあまり遊ばないようにとは尋常な教師のいうセリフではない。
 その教師にはひどい目に合った記憶しかない。一度なんか自由画でドナルドダックを書いたら、後日、全員の前で殴られて、描いた絵を目の前で破かれ捨てられた。彼にはそれがどんなに意味をもったものかわからなかったのだろう。生前、2度ばかりクラス会で会う機会があったがかれは私に話しかけてくることは一度もなかった。私も彼に話しかける気は毛頭なかった。私に言わせればとんでもない先生だったからだ。その教師が亡くなり、残され未亡人を命日には訪ねて慰めているクラスメートいるようだった。優しくされた子もいたのだなと改めて思ったがその落差に愕然とした。
 というのはそんなことからH君と話しにくかったのだが今度会った時は昔のことでも話そうと思っていた矢先だったので正直ショックであった、なんとはない残念さと後ろめたさ感じた。彼の冥福を祈りたい。
 そんなことを感じたことは以前にもあった。デザインスクールの連合同窓会が初めて開かれた。私はY君と会えたら何か話したいと思ったのだ。一度、仕事の件で話だけを聞いてその仕事がボツになったがそのまま連絡もしないでいたからであった。
彼は卒業してから工業デザイナー一筋で生涯を終わった人であった。ユニークな才能を持ち、確か北陸の出身で学校の成績も良かった気がした。一度、デザイン事務所に一緒に面接に行ったが私は落ちたが彼は合格してそのデザイン事務所に就職した。その後、彼は自分でデザイン事務所を立ち上げて生涯その職にとどまったようである。60代で亡くなった、少し早いと思った。
 私がデザイナーをめざしたころは企業内デザイナーになるか、デザイン事務所に勤めるかの二つの選択肢しかなかった。私は紆余曲折して結局ホンダという企業に入ったが、今から考えるとその選択は良かったような気がした。スケールの大きい仕事ができたし、転職の際もそのネームバリューは絶対的な力を持っていたからだ。そんなことからデザイン事務所経営や昨今の業界現状などを色々聞いてみたいと思ったが、それも叶わなかった。

 そして最後に合いたい人物は小学校時代の親友?M君である。親友というのはかなり皮肉めいて書いている。この人物について一昨日も話題になったが、このM君いわゆる公立の小学校を卒業したことを人生の恥とでも考えているようなのである。かれは中学校受験で学年で唯一、慶応義塾に行ったが,最初の頃、同窓会の報せの葉書を出したが、出欠のはがきが来ないので幹事が電話したところ、断られたその理由が“私の学校は慶応であり、その小学校を卒業したことは記憶にありません”と言ったそうである。ドラマに出そうなセリフだが本当にそういう事を言ったようである。また別の幹事は開催のはがきを送ると、出欠のはがきもよこさずに無視するようで、普通なら近況欄に何か書いて送り返すだろうということであった。
 私はそんな行為を平気でする人物に大変興味を持ったので一編の小説を書いたくらいで、絵にかいたようなわかりやすい人物だからであった。私は現在の仕事柄、著名な学校の教育の特徴や、その学校で教育された生徒、学生の性格や価値観を理解しているつもりだが、私が知った限りでは年のいった、慶応で少なからず初等教育を受けた、いい大人がそんな事を言う教育をするわけはないと不思議に思った。私が知る限り慶応義塾を卒業した人物はもう少しまともなのであるはずなのだが?と思っている。
 かれについて私は少々妙な事を鮮明に覚えているのが不思議である。それはこんなことだ。小学校6年生の時、初めて知能テストを実施した。それは明らかに学校の成績とリンクするものではないというようなことを担任教師かから聞かされた。ただ、知能テストの上位者は基本的に学校の成績でも上位者で占められていた。唯一、違ったのはM君であった。その時、教師はみんなの前でこう言った。“M君は知能テストの成績はそんなに高くはないが、学校の成績は非常に高い、それは何を意味しているかと言うと彼は努力をしているということなのだ!”と。
 その教師は褒めたつもりでそう言ったのだが、今から考えるとそれが褒めたのかどうかは何とも言えない。要するに地頭は悪いが・・ということなのだ。たしかに彼は隣のクラスの担任の教師が家庭教師として付いて、勉強に励んでいたのである。しかし、いま考えるとやはり彼の地頭はその知能テストが示したもの以上ではなかったということなのかとあらためて思わざるを得ない。

                                文責:泉 利治
2019年7月8日

Share on Facebook