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Column

相性論

本考ややもするとヘイトスピーチならぬ、ヘイトライトととられかねないが、そのような意図で書いたのではないということを冒頭でお断りしておく。
 
“いい人生だった”という述懐の裏にはいい人との出会いがあったという体験が8割方を占めていると思う。人生の醍醐味は本当にいい人と出会って人生の一時期を過ごしたことによる記憶がそのような言葉を吐かせるのだろうと思う。
 しかし、人生はそれだけで占められることはなく、その逆で占められることもままあるものだ。本考はそちらについての回想である。私にとってのアンチいい人は2つの共通項を持っていた。四柱推命における二黒土星の人と、血液型のB型の人である。したがって、この二つを持っていた人との出会いは人生において最悪の時期となっている。この二つの概念、科学的にはまったく根拠がないと言われている。そんな気がしないではないが、私の人生においてこのいずれかの人とはどうもうまくいかなかった記憶しかないのだ。
 たとえば四柱推命では九紫火星の人(わたし)と二黒土星の人は最高の組み合わせと言われるが、私はこの星回りの人物二人とこれまで仕事を共にしたが、その間の辛い日々とその結果の酷さは私の人生の2大暗件(こんな熟語は?)になっている。四柱推命の説明を読むと九紫火星の人物はきらきら輝く才能と行動を持ち味としている。しかし、二黒土星の人物は縁の下の力持ち的な人物なので、事業などをした場合、お互いの弱みを補い良い結果を生むと言われる。しかし、私の出会った二黒土星の人物は縁の下の力持ちなどではなく、私以上に目立ちたがりで、強権的な人物であったので最終的には私と張り合うようになり、役割が曖昧になり仕事がスムースに進まなくなった。結果として私と袂を分かったが、その内の一人は後で聞くと会社を破産させた上,社員の1か月分の給料だけを残して、夜逃げ同然の行方不明になってしまった。自分の本性とは違う行動の結果と思っている。
 これなどから考え合わせると中国の英知と言われる四柱推命を信じて、その言われるように自分の価値観や人生の指針を変えたらこれらの人物は社会的成功と人々からの支持を勝ち得たのではないかと思っている。
ただ、人生の出会いは四柱推命通りにはいかないので私の場合、もし、そのような人物と分かった場合は言動に注意をするが、基本的には近づかないようにしている。この手の人は自分の宿命に抗している、一種の確信性もしくは狂信性を持っているので何を言っても始まらないからだ。要するに自分で気づくしかないからである。
 
同じように困るのはB型の人である。この場合、最近は直感的に判るようになった。この人物は正直、何から何まで合わない場合が多いからだ。たとえば著名な人の話を聞いて私が心から賛同するような事を言う人にB型の人がいたためしはない。したがって、長い人生で学習したことがB型の人は絶対に駄目だという妙な確信である。今は歳を食って割り切れるので何のことはないが、若いころは本当につらかった。上司、同僚、部下の中でどうも付き合い方がむずかしく、何を試みても裏目に出る相手はみなB型の人であった。
逆説的に言うとこんなことも成り立つ。たとえば本考を読んでいる読者の8割の方がB型の人以外なのではないかと思う。というのはB型の人にとっても私が気に障る存在のなのだからである。お互いに気まずい思いをするし、先が短い人生、無理をしてまでそのような人物と合わせながら過ごす理由はないからである。多分、人生で一番つらいことはそんなことなのではないか?お互いの幸せのためなのである。私以上にB型の人は私の存在が目障りであることは間違いないからである。
ここで少々、大胆な説を披露しよう。確率として36分の一の確率で、私にとって二黒土星×B型の人と出会うか可能性がないことはない。そうなった場合どうだろうか。私は一度だけそのような人物と出会い、何年か過ごした。その出会いは私の人生で最悪の結果をもたらした。おかしな比喩だが、仮にそのような人物が私の介護をしたとしたなら、私は肋骨を折られて死に至らしめられたのではないかと思う。
というのは老人ホームでの介護の問題は多分に双方の相性があるのではないかと思うからだ。あの介護士はそんなに悪い人ではないよ!と言う人もいる人が、別のある人の命を奪うのである。いずれにしても人と人の関係の前提には相性があるからだ。ベストな相性の人と出会い結婚したならばその結婚生活は素晴らしいものになり少なからず最高の人生を送ることができるであろう。しかし、その後どちらかに先立たれ、介護老人ホームに入所したとして、そこで最悪の相性の相手の介護士と出会ったならば、その違いに人生の悲哀と無常をを感じるに違いない。

アンチいい人の二つの共通項に加えたいもう一つの相性がある。最近これで正直、大失敗をやらかした。これは多分に政治的な理由であるが、自分の立ち位置がどちらかという事である。資本家⇔労働者、資本主義⇔社会主義、日経新聞⇔朝日新聞、右翼的⇔左翼的・・・古来、社会を構成する人々の二つの立場である。考えてみると人類の歴史はこの二つの陣営によって成り立ってきた。そして、人間は本質的に自分の立場とは別にこのいずれかに好意的になっている。私の考えではそれは人それぞれの生まれた時からの嗜好なのではないかと思っている。
私は生まれついての前者である。企業で働いていた時から資本家のような考え方をした。したがって、何年かして労働組合の執行委員をやっていても、われわれを支援してくれていた共産党の言説にはなじめないものがあった。このように世の中には立場と主義が逆もありうるということだ。私とは逆の人も多いのではないか大会社のトップ、大組織のトップでありながら社会主義者の人である。意外と世の中このような人物が多い気がしている。というのはこのポジションまでくる人物は要領の良さで、自分の主義はさておいてその立場立場でそのように立ち回る。だから、その行動からその人物のそのあたりの立ち位置を判断するとえらい目に合う。
私はその基本的常識を忘れて、クライアントの組織のトップに仕事上の判断の材料になるというようなアドバイスをメールで送った際にそのような主義に関する立場で見ると、というような見解を話したところ、当の組織トップは生粋の社会主義志向の人物でその件以来、気まずい関係が出来てしまい往生したものである。これも、相性のベースを形づくるもので、四柱推命や血液型に比べると何となく後天的なような気もするが、どうもこのあたりも先天的なものなのではないかと最近思い始めている。
今更ながら考えるのはそのような軛から抜け出ることができない人生だったのかと思うと少々、残念な気がしないではない。そうでなければ私の人生は少し違っていたような気がしないではないからだ・・・そうか、今日は私の誕生日なのだ。                            
                                文責:泉利治
2019年6月10日

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