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Column

恋愛専科

人の価値観というものは地球と同じように何層もの地層の積み重ねで現在があるに違いない。古い地層は滅多なことで見ることはできないが特定の場所に行くと、たとえば断崖のようなところや川によって浸食されたところに行くとそれを見ることができる。そうするとチバニアンのような発見があるかもしれない。
 「恋愛専科」は私にとってはそんなものかもしれない。1962年に制作されたWBことワーナーブラザーズの映画であり、デルマー・デービスによってつくられた映画である。私が16歳の頃封切られたので57年前の映画になる。この頃、WBの映画やテレビ番組などが全盛だったような気がしている。同じ監督の映画、「避暑地の出来事」「スーザンの恋」「二十歳の火遊び」はほとんど今の渋谷ヒカリエの前身の東急文化会館の中にあった東急名画座で見た。また、WBはテレビ番組も作っていてトロイ・ドナヒューを主役にした「サーフサイド6」や「サンセット77」を当時、前者は土曜日、後者は日曜日のゴールデンタイムに放映していたから、考え見ればすごい夢のある時代であった。
 インターネットの時代になって、そのような古層をいつでも見られるようになった。何とかだれも知らない断崖からそのような古層を探し出して、私の秘密の場所として時々見に行っていた。ところが図太い商売人がそこの所に、掘立小屋をつくり焼きそばを売り始めた。つまり、ほとんどフルで何ら邪魔されずに見ることができた映画がそれこそ、5分おきにコマーシャルが入るようになって、トンデモナイ映画になり果ててしまったのである。
 
悲鳴を上げた私はそこでDVD「恋愛専科」を買ったというわけである。この映画は私という人間の重要なカンブリア紀のようなものである。一つは女性観、この映画の主役を演じたスザンヌ・プレシェットは私の女性観の指標になったし、この映画のイタリアは私の人生を支配した最も基本になる様々なベースになっている。多分、私はゲーテと同じくらいイタリア好きであろう。そして、その後、何度もイタリア旅行をすることになるのだ。
 スザンヌに関しては私の好きになるタイプは彼女の域を出ることはなかった。要するに好きなタイプ、顔立ちや体型や性格・・・つまり、これまで惹かれた女性の原型は全て彼女である。イングリット・バーグマンやグレタ・ガルボだったらそんなに身近にはいなかったかもしれないがスザンヌ・プレシェットは比較的、いたような気がする。彼女はバーグマンやガルボに比べると日本女性に近いからだ。
 イタリアはその当時あのアメリカでさえ憧れの地であった。「恋愛専科」はあの「ローマの休日」に似たところがある。ローマの休日は私が小学校2年か3年の頃の映画なのでやはり、恋愛専科より10年前につくられた映画である。10歳に満たない私はモノクロのこの映画「ローマの休日」を見たのは確か大森に住んでいた頃であった。オードリー・ヘプバーンとグレゴリー・ペックがそのままスザンヌ・プレシェットとトロイ・ドナヒューに変わり、スクーターは同じベスパであり、原題はかたや「ROMAN HOLIDAY」かたや 「ROME ADVENTURE」なので、なんとか?という手法でつくられた映画である。
私が実際にイタリアを訪れたのはそれから12,3年経った28歳の時で、当時の国際空港は羽田空港でアンカレッジ経由で北回り16時間で行くか、南回り28時間で行く二つの空路があった。先日亡くなった兼高かおるさんがご活躍していた時代である。でも、プロペラ飛行機ではなかったが?初めてのヨーロッパ旅行は何と1か月の旅程。この話を持ち出した時、母は親戚のオジサンに相談したそうであったが当時の会社では月曜日の役員会議で若いデザイナーが会社を1か月も休んでヨーロッパ旅行をする社員の採決を取ったそうである。“ホンダ始って以来だな・・・?」と言われたのでいかに私が世事に疎い人間であったかが分かる所業である。
恋愛専科のテーマ音楽はサンレモ音楽祭で入賞した「アルディラ」であるが、音楽を担当したのはマックス・スタイナーでかれの作曲した「ローマ・アドベンチャー」も素晴らしい、それを聴くと目の前にローマの景色が思い浮かぶくらいなので凄い曲である。私の場合、音と映像の結びつきは彼のおかげかもしれない。A面アルディラ、B面ローマ・アドベンチャーのドーナツ盤は今でも私の宝である。
人間の原型とはこのような形でつくられるのだが、私あたりの世代は多分マスとして映像がその人間形成に寄与した最初の人間たちでなかったのではないかと思われる。その多くがアメリカ映画やヨーロッパ映画であったが、それにしても最近イタリア映画などは滅多に来ない、勿論フランス映画もそうだ。ドイツ映画も当時は時々来たものであるが現在ではほとんど皆無、ルート・ロイベリックやロミー・シュナイダーはドイツの女優である。
恋愛専科の舞台になった場所がインターネットの時代になって分かるようになった、映画の中では字幕に書いてあった文字は早くて読めないがDVDだと、止めて地名を確認できる。人生の最後にもう一度イタリアに行きたくなった。スクーターは無理かもしれないが車なら大丈夫かもしれない。まあ、左ハンドル車は手慣れたものであるし、70歳を過ぎてアメリカの高速道路を走ったくらいであるからだ。しかし、イタリア語のカーナビでの音声案内はほとんど無理だな。英語でさえ無理だったからだ。アルバーノ湖、マッジョーレ湖、イソラベッラ、ボルゲーゼ・・・・
同じイタリアでもベネツィアはもう少し時代は新しくなる。映画でいうならば「ベニスに死す」の時代だがこのあたりに来るとかなり地層が入り混じり一言では語れない。たとえばラスキンやターナー、テッントレントやテッツイアーノが絡んでくるし、須賀敦子さんも組み込まれる。私はゲーテの愛宿のイタリア館と思われる宿を定宿にしていたし、ワグナーの常カフェのラベーナもお気に入りであったからだ。それにしてもイタリアを語ると語りつくせないくらいである。それくらい語れるのは他にはイギリスとオーストリアかな?いずれの機会に・・・・
                               文責:泉利治
2019年3月4日

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