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Column

 稀勢の里

稀勢の里が引退した。その時のキャッチフレーズがこれほど多くの日本人が応援していた横綱はいなかった。たしかに日本人のだれもが彼の引退を望まなかったことは確かである。そう言う意味からも彼は国民的横綱であり、それは19年ぶりの日本人横綱だからというわけではなさそうである。かれには多分、日本人共通の心の琴線に触れる何かを持っていたのではないか、一方その対極にある白鵬は私に言わせると日本人の琴線に触れるものを全く持たない横綱として永遠に相撲史に残るような気がしないではない。
 私の年代では相撲は野球と並ぶ2代スポーツ娯楽である。相撲は神事という観点からいうならばスポーツでも娯楽でもないが?私の相撲愛好歴は応援していた力士の推移を見ればわかる、順番に述べると羽黒山→栃錦→柏戸→稀勢の里、しかしこれは連続しているわけではない。すくなからず柏戸と稀勢の里に間には半世紀くらいあるからだ。
 羽黒山については微かな記憶であるのでwikで調べると1953年に引退とあるので私が7歳の時である。どうりで記憶が定かではない。もしかすると幼児体験の一つに入るのではないか。その頃の相撲はラジオ体験である。夕方に家ではラジオをかけてその前で聞くのである。と言っても終戦のラジオ放送の姿よりもっとリラックスしている。
 私にとって羽黒山は耳の中でつくり上げられた横綱と言える。しかし、それから70年後wikを読むと愛すべき横綱であることが分かる。なんと感動的な話ばかりなのだろうか。
 その羽黒山が新星の栃錦と対戦しているので羽黒山から栃錦までの時間的な空白はないようだ。しかし何年かのブランクがあった後に多分私は栃錦のファンになったのだろう。羽黒山との最大の違いはその姿が目に浮かぶことであった。ただしモノクロだ、かれを私はテレビ見ることができたからだ。したがって、栃錦は眼の横綱になった。今から考えると小さな横綱ではあったが、その気迫は今でも覚えている。現在の相撲取りでそのような気迫で相撲を取る人はいない。ともかく仕切りから違う、したがって、それが昂じると仕切り時間前にたつ相撲になることが何回かあった。その気迫が限界点を超えるとそうなるのである。多分、見ているわれわれも限界点を超えるのである。そんな取り組みは現在見ることはできない。
 私などは現在の相撲評論家と違う視点で今の相撲取りを評価してしまう。今回そんな評価の一つが耳新しかった、稀勢の里の引き際の話である。横綱の引き際は美学がないといけないという事である。したがって、横綱らしい相撲が取れないと自分が感じた場合、たとえば初日から2連敗してしまったら、3日目には引退宣言をするような時代であった。その横綱が前場所、もしくは先々場所くらいに優勝していてもである。本人も、親方も、そしてファンも横綱とはそういう存在なのだというコンセンサスが世の中にあった。今は違う、玉が少ないからそんな簡単に横綱が辞めてしまっては客の入りに影響することになるので、相撲協会も「激励」をすることになる。たしかに19年ぶりの日本人横綱となれば国民上げて激励したくなるものである。
 確か栃錦の時もそうであった。初日と二日目に負けたような記憶がある。とくに栃錦が属していた春日野部屋は創始者?栃木山という横綱がそのような横綱の規範をつくったとのことらしいので不文律としてそのような判断が当然のものとして春日野部屋では受け入れられたのだろう。
 その栃錦の後を私の中で引きづいたのは柏戸である。柏戸は大鵬という大横綱の生涯の引き立て役になった気がする。かれらは同時に横綱になった。そして、いわゆる栃若時代の後の柏鵬時代をつくった。同名の歴史時代のような華麗な呼び名のような煌びやかな新時代にふさわしい二人の横綱であった。この二人の横綱が新時代の横綱にふさわしいと言われる所以は大型の力士であったからだ。その前の栃錦も若乃花もどちらかというと小さい横綱で身長は二人とも180センチを超えていなかったと思う。
 柏戸も大鵬も時代の寵児であった。特に大鵬は“巨人・大鵬・卵焼き”と言われるように当時の子どもたちが好きなことの3つの上げられたうちの一人であった。それに比べると柏戸は玄人好みの相撲取りであった。しかし、我が家は全員が柏戸のファンであった。理由は簡単である。出身地が山形県であったからだ。まさに郷土が生んだ初めての横綱である。今でもそうだが相撲取りは出身の郷土と深い関わりを持っている。稀勢の里も茨城県とは一種のエモーショナルタイのようなものがある。彼の引退が知らされた時、最初に画面に飛び込んでコメントをする人は茨城県のファンであった。
 柏戸もケガに泣かされた力士である点において稀勢の里と共通している。そして長期間休んだが休場明けにライバルの大鵬と双方全勝のまま千秋楽の結びを迎える。これほどのドラマはそう簡単には見ることはできない。柏戸は宿敵の大鵬を破り優勝する。この涙の優勝は石原慎太郎の“八百長だ!”という一言でケチが付いたが多くの相撲ファンにはうれしい結果であった。
 私はこの経緯を覚えていたので稀勢の里が長期休場した時にどのような治療をするのかに興味があった。結果を見ると柏戸のようなリハビリをしなかったことが悔やまれた。というのは稀勢の里がこれ以上相撲を取れないと言った原因が足腰の劣化にあった気がしたからだ。あの体を支え、相撲を取る基盤である足腰が長い休場で元に戻らなくなったのである。そんなことをなぜ、トレーナーや現代医学が指導できなかったのかが悔やまれる。
 柏戸のリハビリは至極単純な日本古来のものだった。かれは相撲から離れて塩原温泉に籠り、温泉と山歩きに没頭したという。毎朝、旅館の女将さんが作ってくれた握り飯を持って一日中、山を歩いた。昼は持参の握り飯と山水を飲んだという。夜は温泉で体の治癒したのだろう。おかげで傷めた体は甦り、足腰は以前より強くなったと言われている。稀勢の里がどうしたかわからないが、相撲部屋に居てはどうしても稽古をしたくなってしまうだろう。しかし、中途半端な稽古は百害あって一利なしである。相撲の世界にどのくらい最先端の科学や医療が取り入れられているか定かではないが、稀勢の里はその点から見ても悲劇の横綱のような気がしないではない。
                           文責:泉利治
2019年2月4日
 

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