ブランドワークス

Column

デザイン経営宣言

 経済産業省が「デザイン経営」宣言をした、ということを最近知った。5月23日という日付が書いてあるので、半年おくれで知ったことになる。いわゆる国がデザインの重要性を取り上げたのには驚きだが、それを生涯の生業にしてきた私としてはうれしい反面、それ以上にどうかな?という一抹の疑問が残った。
 というのはそのねらいがよく分かったからだ、それに対してそれが本当にデザインになるのかということなのだ。狙いは簡単である。日本がGAFAのようなビジネスを生み出せなかったからである。多分、関係者はその原因を考え、何が日本の企業、日本人に足りなかったのかを考えた結果。いわゆる、デザインに行き着いたのだろう。しかし、そうであるとしてもそこに疑問を感じざるをえない。
 「日本は人口・労働力の減少局面を迎え、世界のメイン市場としての地位を失った。」とデザイン経営宣言の冒頭に記載している。具体的に言うとSONYやPANASONICはなぜAPPLEになれなかったのだろうか?そこは無理でもSAMSUNGくらいになれてもイイと思ったが、現実はその2社、一時潰れるのをいかに回避するかということが経営課題になっているのではないかと思うほどであった。
 少し考えるとわかることだがその2社はデザイナーを重視していた会社であるはずだった。とくにソニーはあのステーブ・ジョブスでさえ、APPLEをソニーのような会社にしようと思っていたくらいであったからだ。ソニーは世界でもデザインに関しては誰もが一目置く企業であったはずだ。しかし、そのようにはならなかった。そこから言えることは本当に「デザイン経営」が日本の企業力を高める方法になるかということである。
 GAFAが生まれる前提条件にデザイナーの存在が不可欠であった?ということに関して私は疑問である。私はデザイナーの端くれのつもりであり、それでだけ買いかぶってもらうことは正直嬉しいのだが、その構図には自信をもってYesとは言えない。
 GAFAの共通項は何かと言えば新しい社会インフラを活用したビジネスの創造ということである。このポイントは“ビジネスの創造”ということである。ビジネスをデザインすることとビジネスを創造することは全く異なる行為である。ビジネスを創造するということは無から有を作り出すことだがビジネスをデザインするということは横のものを縦にするようなことである。
 私は今のようなインターネットという革新的な社会インフラが生まれる中でビジネスをしてきた。その中でいつも思い出す20年近く前の広告がある。ソニーの全紙広告であったが、何か?分からないハードを見ながら“これがどんな世界をつくるのか分からない”というようなキャッチコピーを写真の男が呟いている広告なのだ。今から思うとそれは間違いなくインターネットの世界を予期しており、その中で機能させるべきもののようなものであった。
 その時一瞬、思ったのはソニーでもわからないことがあるのだと思ったことであった。またソニーらしい広告であった。というのは分かっていたからそのような未知の世界の到来を暗示させることでソニーの次の挑戦を印象付けようとしていた気がしたからだ、しかし、今から考えると本当に判らなかったということなのである。それを機にソニーは間違いなく暗黒のトンネルに入り込んだ。ソニーは革新的なスタンドアローンの会社なのである。そんなことが分かるわけはなかった。そのあたりを一番理解していたのはNECであったと思う。NECはC&Cというコーポレートステートメントを使い始めていた。

ブランドワークスの定番チャートに今のインターネット社会の到来を私たちの教えていた歴史的なNECの写しを見ることができる。これは1986年作成したようなので30年近く前の予言である。この予言のオリジナルはマサチューセッツ工科大学が考えたものでそれをNECの社長であった小林宏治氏が何かの講演で発表したらしい。それでわれわれが知ることになったのである。NECは当時コンピューターに関しては日本の他の企業のどこよりも進んでおり、世界をリードするような存在であった。といっても精々パソコンをつくるだけの会社ではあったが。そのNECでさえ今から考えると目先のパソコンをつくることで精いっぱいだった。C&Cの最初のCにしか目が向いていなかったのが日本の企業である。かれらは新しい家電の新アイテム程度のことしか頭になかったのである。
 そんな時、上の図を頭において物事を考えられる人が必要であったが、その役割をデザイナーに期待しているようなのである・・・?いやー、それは無理だろう?デザイナーにそれを期待するのは無理だ。デザイナーとは目先のパソコンにしか目がいかない人種なのである。私はそんな未来のマクロな世界を想像できるデザイナーなどに会ったことはないし、聞いたこともない。まず、そんなきっかけがデザイナーの心の中に起きる必然が考えられない。
 デザイナーは新しいことに挑戦するタイプの人間であることは確かなのだが。それは既存の枠組みに入った目に見えるものに限られている。たとえばある仮説をイメージ化するような作業。思考実験、いわゆる“ビジネスの思考実験”をするような人種ではないことは確かなのである。
 「デザイン経営」の本当のねらいはビジネスの思考実験ができるような人間と企業をいかに創出するかということである。デザイナーにそのような役割こそが君たちの仕事なのだということを言われたならば、何人かは可能性があるかもしれない。そうしたならば考えるかもしれない。
 しかし、そう考えてもその仕事に多くのデザイナーたちが価値をおくだろうかと言うと何とも言えない。私はこれまで、そこでひと財産つくることに強欲なデザイナーなんかにお目にかかったことがないからだ。本当はそんなデザイナーが出現しない限りむずかしい気がしないではない。
 GAFAの創業者の中にデザイナー出身者がいるかどうか定かではない。もしいたとしたならばデザイナー特有な豊かな発想力と目に見えない世界を想像できる特異な能力を持っており、そこに強烈な強欲さがあると思われる。主語はデザイナーではなく、ビジネスに強欲なのである。ステーブ・ジョッブスはそうかもしれない?まず地位と名声に対して人一倍の欲がないといけないのだ。
 経済産業省のデザイン経営宣言にそこまで考えが及んでいるかわからないが、もう一つの参考事例集を見る限り、そのような価値創造ができなかった企業の例しか載っていないのが何とも皮肉なものだ。こんなのを読むくらいなら私の著書「デザイン・マーケテイン・ブランドの起源」を読んだ方がよほどためになる。私のその本は今から考えると、いわゆるクリエイティブ分野におけるビジネスの創造読本なのだからである。そこには3人のデザイナーが書かれている。著者にいわせるとその3人はビジネス×デザインをやり遂げた人たちなのである。シツコイようだが、あくまで主語はビジネスなのである。
 2018年最後の考である。良いお年を・・・・

泉利治

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