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Column

万代順四郎について

 本考の2回前の「経営者の価値観」の冒頭に“古今東西の有能な経営者の3人をここ10時間の間に特別な脈絡もなく考えさせられた”と書いた。このキッカケは内容を読めばわかるがカルロス・ゴーンの逮捕がキッカケでのことだ。では、他の二人とは誰なのかと言うと一人が本考のタイトルにもある万代順四郎である。
 万代順四郎とは三井銀行の会長であり、創立期のソニーの会長であり、青山学院の理事長であった人である。学校の理事長とは学校経営を担う人なのでまさしく経営者なのである。私は青山学院の経営書でもある「マネジメントコンセプトブック」の編集メンバーの一人としてこの本の制作に関わり、万代順四郎について様々なことを知ることになり、こんなえらい人物が世の中にいたことを何とか世に知らせなければならないと考えていたから、その人物とカルロス氏との違いを考えるにつけ、同じ経営者でも何とも違うものだと思ったのである。
 
 万代順四郎は明治16年に岡山県の農家に生まれ、18歳になって上京、青山学院に入学する。そこで6年間勉強した後に三井銀行に入行し、会長にまで昇進するが太平洋戦争後の公職追放にあって野に下り、横須賀の津久井に茅葺の家を求めて、百姓三昧の生活をすることになる。そこで畑を作り、ミツバチを飼い、日々の食に困らないまでになって、幾分、落ち着いた頃、公職追放も解かれて青山学院の財務担当理事に就任し戦災で学校施設の7割を失った学校の復興に尽力し、後に創立したてのソニーから経営に参加してもらえないかとの要請を受けてそこの会長に就任し、企業ソニーの礎を築いた人物のことである。
 その後がまた凄く、自分財産等を日本の将来を担うべく若い学生の奨学基金として全財産を青山学院に寄付するのであるが、その額が半端でなく現在の金額で211億円なのである。こんな比較は何の足しにはならないがカルロス氏が税金逃れをして、退職した後に受け取る予定の80億円の3倍弱の金額である。
 恥ずかしい話だが私はカルロス氏の80億円はなんとなく理解できるが、万代氏の211億円は正直まったく理解できないのである。私に言わせれば双方ともに常軌を逸しているとしか言いようがない。
 私は万代順四郎について書くことになり、その常軌?を逸した寄付金額の謎を解くべくその理由を書くことにしたのである。万代氏のその金額は青山学院に寄付されたのだから青山学院ではその行動をキリスト教精神から生まれたものだと主張する。確かに万代氏は敬虔なクリスチャンであり青山学院に入学した後に洗礼を受けており,晩年、奥様と聖書を読み合うのを楽しみにされていたと言われている。そんなことから子どもがいなかった夫妻は残すべき財産のほとんどをキリスト教教育を実践している青山学院に寄付されたのである。
 ただ、それだけではない何かもっと違う動機があったのではないか思ったのである。つまり、キリスト教精神という一つの理由だけではないはずだということを感じたからだ。
 私は万代順四郎の人間を形づくった柱のようなものを探し始めた、すぐに思い当たったのは青山学院を卒業した後に勤めた三井銀行である。自分に当てはめて考えても一生をささげた仕事の中で自身の価値観はつくられることは間違いない。万代は三井銀行の業務を通して多くを学んだに違いない。銀行家としての万代は間違いなく三井銀行を近代の銀行に生まれ変わらせた人物として歴史に刻まれる人物であることは間違いなかった。
三井銀行の起源は両替商であり、銀行に生まれ変わってもそれは財閥の資産を守るための銀行であり、銀行として事業を営んでからも市井の人にお金を貸した事業が思わしくなくなり会社がたちゆかなくなるとその会社から貸した金を引き剥がす非情な銀行として有名な銀行でもあった。自分が損を被らなければ何をしても良いという発想しかなかった。
 銀行業の本場のイギリスで仕事をした万代はそこで銀行のあるべき姿を見る。銀行とは国家、社会を支える産業の担い手である企業が窮地に陥った時には相談にのり、協同でその企業を支援してやる存在にならなければならないのだと。
三井銀行名古屋支店長時代の万代はそのイギリスの銀行と同じように業務にあたった。
 そこでの実績が買われてだれがやってもうまくいかないとされた大阪支店長を任せられる。万代の成功は銀行の存在意義を社会や国家の視点からとらえたものである。三井銀行は新しい時代の経営を万代に任せることになる。財閥系の大銀行の三井銀行は近代の銀行に生まれ変わったのである。ビジネスマンとしての万代の成功体験は自身の価値観のもう一つの柱になったことは想像できる。
 そこまで考えてまだ、ミッシングリングは残っている。18歳でキリスト教に目覚めて、入信し洗礼を受け、26歳からビジネスを通して社会や国家を支えることに邁進した。
 
 では、人間の原型はいくつくらいで出来るのだろうか?確かなことは18歳の時には間違いなくその人間の原型の7割方は出来上るのではないか?万代は岡山県の高等小学校を出ているがそこでの際立った話はない。唯一、象徴的な話は日蓮宗に帰依している母の教えである。間違いないことは万代は宗教的信念を生涯持ち続けられる人物であることは間違いない。
 私は明治16年に生まれた万代順四郎に行動になんとはない明治の男特有のスピリットを感じていたので司馬遼太郎の本の中で明治という時代について書かれた本をいくつか調べるとこんな文章にぶつかった。「維新後、日露戦争までの三十余年は、文化史的にも精神史的のうえからでも、ながい日本の歴史の中でも実に特異である。これほど楽天的な時代はない。」万代はその真只中の明治16年に生まれており、その中で人間の原型ともいわれるものを形づくった。そう言えば万代の行動には何とはない楽天的な気分がある。万代は戦後、公職追放の憂目を見ていると書いたが、決して戦争には反対していない。私は初めて万代について読んだとき戦争には極力反対したのだろうと思ったがそこあたりは意外と磊落とした態度で心底日本が戦争に勝つために銀行家としての努力をしている。そのあたりは私の好きなところなのだが、当時の一般的な企業経営者ならだれでもそう考え行動すると思われるからだ。
 要するに日本という国家を豊かに、素晴らしい国にするということが常にかれの行動の中心にあったのだ。そんな文脈の中で、青山学院の復興とそこに学ぶ若者がその担い手になってほしいとの願いを込めてかれは全財産を青山学院に預けたのである。
 そう考えると211億円という常軌を逸した寄付の理由が何となく肚に落ちた気がしないではなかった。

泉利治

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