ブランドワークス

Column

経営者の価値観

 古今東西の有能な経営者の3人をここ10時間の間に特別な脈絡もなく考えさせられた。
 そのキッカケは勿論、あの高名なカルロス・ゴーン氏の逮捕のニュースが駆け巡ったからである。有価証券報告書に虚偽の記載をしたということでの逮捕なのだが、虚偽の対象は自分の年収の半分を実際の年収としていたことである。10億円の年収を申請したのだが実際はその倍の20億円得ていた。その他、海外の屋敷を会社の経費で購入していたという話もあり、外資系のトップの実績に見合う対価という意識の違いが生んだ話でそのような話は一般の人にとってあまり聞かない話だろうが、少なからず外資系の会社に10年以上在籍していた体験からいうとよくある話なのである。
 個人的にカルロス・ゴーンのやったことは何となく納得ができるものの、なぜもっとうまくやらなかったのかという感じだけが思いとしては残る。日本の株主に対しての対策とも慮りともいえない立ち振る舞いはあまり賢いやり方とは思えない。ゴーン氏の気持ちとしては20億円でも少ないという話なのだろう。正直、私もそう思う。ちゃんと仕事をした人にとってその仕事の見返りは自分なりにはじけるものなのである。いわゆる、その人の価値観というものが支配する。
 日産自動車は日本の自動車メーカーの中で一番嫌いなメーカーである。しかし、昔は一番好きなメーカーであった。好きだった理由は子供心に日本の自動車の優秀性を世界にアピールしてくれたからである。いわゆる自動車レースで日本の車が最初に入賞したのがダットサンだった。あれはオーストラリアラリーだった記憶がある。少なからず60年くらい前の話である。もしかするとそのころの社名は「NISSAN」ではなく「DATSAN」だったかもしれない。子供心にその快挙は嬉しい記憶として残っている。DATSAN はその後オーストラリアラリーの常連になり最後は優勝したのではなかったか?と思う。
 そのころ、ホンダはまだオートバイのメーカーとして全く記憶にない会社であり、トヨタも何となく日本の二番手のメーカーであり、地味なメーカーであった。そのころの日本の自動車メーカーは海外の自動車のノックダウンを請け負っていた。ヒルマンやルノーがそうだった?両方ともヨーロッパ車である。その頃から小型車でその間、日本のメーカーはそれらの仕事から自動車作りのノウハウを学んだのである。ヒルマンやルノーはそれでも日本車より洗練されたデザインであった。それをモデルとして作ったDATSAN よりも格好が良かった。
 オーストラリアラリーでの入賞はそれらの自動車でも成し遂げられないもので、このあたりから日産は技術力に注力していたのではないかと思う。堂々と「技術の日産」というようになったからである。日産はその後、ラリーの中の最高峰であるモンテカルロラリーに挑戦する。何回か挑戦したのであろう、何回か目に3位に入賞する。その時の新聞広告を覚えている。いわゆる、“3位入賞だが、これがどれほど価値のある入賞か・・・“というようなニュアンスのコピーであった。というのはモンテカルロラリーは今でいうルマンのような存在であって、世界の一流自動車メーカーが自社の技術や製品の優秀性を推し量る場であったからである。その時入賞した日産の自動車は「フェアレディZ」である。日産は自動車メーカーで一番最初にスポーツカーを作ったメーカ―なのでもある。
 子供心に思ったのはその後、それを追うように、ホンダ、マツダ、トヨタ、三菱などが様々なレースやラリーに参加して入賞するようになったのだが何といっても日産が様々な点で群を抜いていたのである。したがって、車好きの男の子なら誰でも日産が一番好きな自動車メーカーなはずなのである。日本のシンボルのような会社であったからだ。
 その流れからいうと日産の経営危機は許せたとしても外国人に経営をゆだねなければならない会社など許せなかったというのが、その頃、十分に大人になっていたにもかかわらず、私はそう思った。その原因を創ったのがカルロス・ゴーンであった。私はそれを機に日産、そしてカルロス・ゴーンが嫌いになった。それは自分の母親がよその男と結婚したようなショックからである。心情的にその母親とその再婚相手を好きになるわけがない。私の日産キライは多分にそんなところから始まったと言える。
 しかし、その後、私はホンダに入りその創業者に魅了されたというのも多分にあるものの日産嫌いのキッカケはカルロス・ゴーンによって作られたと言って間違いない。その本音には日本の会社を日本人が建て直すことができない悔しさからである。その点ホンダは小気味よかった、マン島オートバイレースの圧倒的勝利、F1での優勝、世界初の排ガス対応の技術開発、最後は創業者の夢であったジェット機の製造。この自動車メーカーほど日本の会社の優秀性を世界にアピールしてくれた会社はなかった。多分、私はホンダに入っていなくともホンダが好きになっていたに違いない。
 この年齢の人間にはどことなくそんな国粋主義的な気分が残っていることは間違いない。
 たとえば本田宗一郎は日本人として世界と仲良くできた人物なのであり、かれの信条に新聞記者と税務署は大事にしろと言うのがあった気がするがこれは社会と国は大事にしろと言うごくごく当たり前のことであるからなのだ。カルロス・ゴーンは私が嫌いな要素をすべて持っていた人物なのである。水に溺れた犬に石を投げつけるような気がしないではないがそんないかがわしさを最初から感じたのである。
 その後、経営コンサルティングの仕事するようになったが彼の手法は好きになれなかった。あそこには経営のロマンのようなものがなかったからだ。こんなことがあった、カルロス・ゴーンが日本で自動車事故を起こした。一番まずいのがその時、運転していた車が日産の車ではなくポルシェであった。そのころはSNSなどない時代であったので日産広報部は手をまわした。その後その事件は一切、人の目にふれることはなかった。今回の出来事を象徴するような事故のような気がしないではない。

泉利治

Share on Facebook