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Column

賢者の石

 ”先日、ラルフ・ボーン・ウィリアムスの水際だった第四交響曲のレコード聴きながら同じウィリアムスの書いた音楽論を読んでいると、次のような一節に出くわした。「私はこれまでたえず素人じみたテクニックを征服しようと苦闘してきたのだが、どうやらそれをマスターすることができた現在、時すでに遅く、もはやそれを利用することができないようだ」大作曲家のこの言葉がいかにも痛切だったので、私は眼がしらが熱くなるほど心を動かされた。”これは少なくとも半世紀前に読んだコリン・ウィルソンの「賢者の石」冒頭に書かれている数節である。イギリスの作曲家のこの言葉に違った意味で考えさせられたのが、齢を重ねる・・という宿命についてである。
 同じようなことをイチロー選手についてはわかりやすい現実として知らされる。素人じみたテクニックを征服しているはずなのにそのテクニックを超える加齢による能力の減退で記録を伸ばすことができないのである。現実として試合に出ることができないからである。今の彼は素人じみたテクニックに毛の生えた程度の若者より打てないという現実に直面したのである。

 「賢者の石」とは人間の能力は無限に発達するというSF小説なのだが、そのテーマは若い私を魅了したことは確かである。以前にも書いたが、人は長く生きれば生きるほど能力は発展するものであると・・・少なからず半世紀前はそんなに老人の現実が知見として希薄だったせいかそんな考えを自分の中で発展させることができたのである。
 そんなことを考えたのは老人にしては素人の域を超える努力をしているが現実に直面していたからである。たとえば68歳でやり始めたチェロ。パガニーニ並みの練習時間はとれないものの、その苦闘の度合いは若いころと変わらない。その進捗の度合いは比べようもないので何とも言えないが何となく半世紀前でもこんなものであろうかと思う。こう思えるのは若いころからできの悪い頭を持っている方だったからなのではないかとも思う。そう考えると、自分の信じられない潜在能力というべきモノに驚くことがしばしばである。
 たとえばチェロをやっているとこんなことに出くわす。初めて弾いた時にこんなフレーズは弾けるわけはないと思ったが、そのフレーズを何回かやっているうちに弾けるようになる。何日かしてまたそのフレーズの譜面を見ると初めて見るようで(弾いた練習の記憶が薄れてしまうか?忘れてしまう?ので)やはりこんなフレーズは弾けるわけがないと思ってしまう。しかし、現実はなんとか弾きこなすことができるのである。意識の中では引けないと思いながら、無意識のどこかでそれを弾きこなす能力が身についている。
 何でこんなことが起きるのだろうか?何日か練習をしないとそのフレーズをすっかり忘れてしまい、そのフレーズを意識の中では初めて弾くのと同じ状況になるのであるが、不思議なことに記憶にはない能力でそれを弾きこなすことができるのである。無意識にはもしかすると意識した力より強力な力があるのかもしれない。これは結構重要な発見なのではないか・・・
 私たちの能力の評価は意識した力を評価していわゆる格付けをしている。たとえば入学試験などがいい例だ。受験勉強して意識した記憶とそのリアクションを点数化して、評価して合否を決める。試験問題は意識下に行われた思考によって答えることができる。無意識下で答案を書く受験生などはいない。
 ところが先ほどのチェロの発見からすると無意識下の能力の方が格段に優れていることが分かる。しかし、現代社会ではそのような能力を評価するすべを知らないので全く無視されてしまう。しかし、考えてみるといわゆる、創造性やクリエイティブと呼ばれる価値はあるが得体の知れないものとはその無意識下の働きの元で生まれている気がしないではない。
 創造的な瞬間というのを考えてみよう。私の場合、朝が寝起きの時が最も創造的な瞬間なのである。要するに意識が機能しない時間帯である。つまり、無意識と意識の境目あたりにアイディアが渦巻いているのである。アインシュタインは一日に何回も寝ていたと言われていた。いわゆるゴロゴロしている時間である。かれにとってそれは最も創造的なエリアである意識と無意識の境界にあるあたりをさまよっていたのであろう。

 私はそんなことを発見していなかったならこんな仕事を70歳過ぎまで続けてはいられなかったであろうと時々思う。ボーン・ウィリアムスの述懐の真意は分からない。単純に演奏家の技術的なことから考えるとそんな素人の域を超えた技術によって弾く曲に喜びを感じなくなったということか?しかし、パガニーニ並みの技量を身につけてそれを披露する喜びを感じるのは精々40歳までのような気がしないではない?それ以降、バッハあたりを突き詰めたほうが音楽の喜びが大きい気がする。
それとも肉体以上に精神が老いてしまったということか、何とも言えない。老いを退化と考えると悲しいが変化と考えると希望はある。とかく最近の論調は退化の方に傾く。表題の「賢者の石」とは卑金属を金に変える力がある霊薬と考えられている。ウィルソンの本では凡人を神の如き能力を持った人間に変える力を持った喩えだった。要するに凡人を天才に変える妙薬なのである。20歳の私が飛びついたことは察しがつくであろう。
 しかし、この本は能力を高める方法はあるという一つの確信を与えてくれた点において私の人生に最も大きな影響を与えた本になったことは間違いない。このなんともいかがわしい、神秘的な言説を信じることは意外とクリエイティブな仕事をする人間には良かった気がしないではない。

泉利治

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