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Column

法然院

こんなに美しい京都には滅多に遭遇できるものではない。
 定宿の部屋の関係で梅雨の真只中の京都行になってしまった。しかし、十年近く京都に毎年3回、10泊かそこら滞在するので天気の当たりはずれでさんざんな時もあると思われるがそんなことは一度もないという、幸運に恵まれている。この日、珍しく清水茶碗坂あたりで雨が降り始めた。そんなことで五条から河原町四条までバスに乗る。しかし、降りる頃には雨もやみ、高島屋に寄った後、屋根の着いた河原町通りを歩いて京都ホテルに帰る。寺町商店街の小松屋で和菓子を買って、ホテルでお茶を飲みながらひと休み。しかし、まだ少々早い。いつもの部屋は15階なので京都の東山から京都タワー、遠くは桃山城まで見渡せる。曇ってはいるがどこかに行けるかもしれない。
 妻が法然院に行こうと言った。名前は知っている、鹿が谷にあることは分かっていた。この東山の山裾あたりは何とも親しみやすい。銀閣寺から連なるそこはいいかもしれない感じがした。というのはこの天気だからである。鎌倉の我が家もどちらかというと周りを山に囲まれた谷戸にあるので雨上がりの湿り気が独特の風情を醸し出すからだ。京都ホテルの向かいが市役所なので市内のバスのほとんどがこの前に止まることになる。バス一本で法然院に行ける。そこで曇天の京都の町を銀閣寺行きのバスで向かった。
 法然院町の次の南田町で下りて山に向かって進むと法然院の入り口に着く、京都の寺にしては静かな佇まいは天気のせいかもしれない。観光客を一人も見かけない。山に向かって緩やかな登り道、いつ降り出してもおかしくない天気のせいか湿度は100%なのではないか、深い緑の中はそうでなくともそれだけの湿り気がある。
 この山の中に入っていくような景色をどこかにあったような気がした。以前、会津に行ったとき松平容保の墓地に向かうその景色と似ているような気がした。何とはない静寂、深々とした緑、そのような中での独特の湿り気、軽い登り道角を曲がると眼前に飛び込んできた山門。山門の後ろの緑が若干切れておりそこから、昼の残光がまぶしく感じる。
 山門の入口がなんとも液晶画面でのようにくっきりと目の中に飛び込んできた。山門自体は黒いわけではないが弱い光の中では黒く見えるから余計、ぽっかり空いた横長の画面が液晶画面のように見えるではないか。その画面からの光で黒曜石のような雨に濡れた
石段が光り輝く。その石段を踏みしめながら、その門に立つと寺の境内が見えるが、その大きさが何とも健気なスケールを持っている。
 境内の始まりにスクウェアに盛った白砂壇が両側にある。一般的な大きな庭なら一面白い砂を敷き詰めるのだろうがこの寺は左右につくられた白砂壇でそれを代用している。その砂の白さが周辺の緑と美しい対比をつくって、この寺の独特な個性を主張している。ともかく美しいのである。そういわれるとこの寺は禅寺ではない、したがって、禅寺のような妙な理屈がないのかもしれない。それ以上にこの寺のスケールがこれ以上のことは出来ないというような居直りがあるのだろうか。





 濃密な湿度を持ったこの寺はその空間にいわゆる宗教的な気のようなものを閉じ込めていると言っていい。その点においてヨーロッパの古い教会の大伽藍のような密度を持っている。いわゆる、一度入ったら逃げ場がないような場所である。寺の起こりは元祖法然が弟子たちと共に六時礼賛を行った草庵が由来というが確かに900年経ってもその起源を聞くと納得できる。
 境内は広くないので取り立てて見るものはないかもしれないがこの場にいることで体全体が感じる気のようなものかえがたい。目に入るものだけが情報ではない。また、それしか使わないので体全体で感じるというような最も人間としての本質的な受信能力が退化してしまったのかもしれないと、今更ながら思う。そう言えば今まですっかり忘れてしまったのだが剣の達人がその空気から体が感じる受信能力で己を守っていたことを思い出したが現代人には思いもよらない人間の能力なのではないか。
 はじめて鞍馬寺に出かけた時、雪が残っている山道を歩きながら、牛若丸と呼ばれた頃の義経が天狗と剣の修業に明け暮れていたころ、天狗から体の受信能力を鍛えろと教えられていたようなことを思い出したのだが、鞍馬の巨木を見上げると何とはなく800年近く前のことがそのあたりを支配していることを気づいたのである。とは言っても、つい手もとのスマホを開けてその代替えともいうべき受信機を開いてしまうのが現代人の悲しさである。明治の剣豪で山田次郎吉と記憶しているが、かれは天を仰ぐとこれから何十年も前の友人がもうすぐ訪ねてきますよ、見てごらんなさいと言ったそうである。そうすると少ししてその友人が突然、訪れたというが、生き死をかけた剣豪にはそのような特殊能力があったらしい。また、かれは関東大震災も予知したとも言われている。

泉利治

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