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Column

アニメ文化

日本文化が西洋人に与えた文化的インパクトとしてアニメは私が知る限り歴史上最大のものであろう。おかげで日本という国は西洋の若者にとってあこがれの国、生涯をこの国で過ごしたいと思うほどの国になったのである。私にとってその同じ思いはヨーロッパの国々にある。
 少なからず西洋人が神田明神を憧れの場所と思うほど私はシュテファン寺院が憧れの場所であった。その違いは人間の価値観や好き嫌いが刷り込まれるいわゆる青春時代にどのような体験をしたかで決まるといっていい。ともかく、私は、というより私世代の人間にとってアニメ。いわゆる漫画は決していい子が見るべきモノではなかった。正直、私は漫画を見る時はいつも後ろめたい気になったものである。それは学校でも家庭でも子どもにとって害毒をもたらす娯楽というレッテルを負わせたモノであったからだ。
 だいたい、学校の成績の悪い子は漫画ばかり読んでいると先生や親から怒られるときに最初に敵視された事例として挙げられる。同じようにテレビもそんな対象であった。私がそれらに対してこの歳になっても見ない原因はそのような体験がベースになっている。といっても私は学校時代にそんなに成績のいい方ではなかった。だから、よけい漫画ばかり、テレビばかり見ていると怒られたのかもしれない。しかし、漫画やテレビを遠ざけても成績は決してよくはならなかった。
 そのかいもあってか今でも漫画とテレビはほとんど見ない。しかし、少なからずこの二つは現在の日本の価値を世界認めさせた功労者である。昨夜のテレビでアニメの主人公の身なりをしたポーランドの女の子が流暢な日本語で仕事を見つけて日本で暮らすことが夢なの・・・と言っているのを聴いて凄いインパクトなんだろうなと思うようになった。
 
最近は私が文化的影響を受けた時代の映画を簡単に見ることが出来る時代になった。私はイタリア映画が好きだったのであのポーランドの女の子と同じ思いをイタリアに持ったものである。したがって、今でもその時代の映画を見るとその頃の想いが甦ってくる。「刑事」というイタリア映画があった。映画も音楽も当時大ヒットした。この映画の中では二つの階層の生活が描かれている。殺される側の裕福な生活と殺す側の貧しい生活、映画自体はモノクロの映画なのでイタリアの華やかさなどを微塵も感じることはできないがその世界は私を強烈に惹きつけるものがあった。若きクラウディア・カルディナ―レも良かったが、アリッダ・ケリの歌う「死ぬほど愛して」が醸し出す世界に引き込まれたことは確かである。イタリアで暮らしたいと今でも思うほどのインパクトはあのポーランドの女の子と同じ理由である。実際に私は大学書林社のイタリア語入門の本を買ったりしてイタリア語を勉強したくらいであった。
 その後、違った意味でもイタリアは惹きつけられる国であった。それから15年くらいして初めてイタリアの地を踏んだときの感動は忘れられない。団体ツアーの旅行ではどちらかというとあの映画「刑事」に出てくるような庶民が住む下町のホテルだったので映画で見た世界が目の前に蘇ったようだった。40年も前の記憶なのでイタリアのどのあたりのホテルかわからないが、見当がつく唯一の記憶は近くの教会にあの感動的なベルニーニの「恍惚の聖テレサ」があったことで分かる。当時、映画を通してのイタリアだったが歳を重ねるに従って、芸術や文学、もしくはデザインという観点からイタリアに惹かれていった。
 少なからず私にとってヨーロッパの街は人間にとって最も感受性が強い時期に多角的に積層されたといっていい。つまり、与えられた情報を自分の心の中で私ならではの増殖をさせていったのである。アニメの主人公がいくつかあるようにそれはクラウディア・カルディナ―レからアントネラ・ルアルディへ、ミケランジェロからベルニーニへ、アレッサンドロ・コレルリからアントニオ・ヴィヴァルディへと変わっても分母にあるのはイタリアであった。また、カンツォーネもいい、本考でもジリオラ・チンクエッティの考を書いたぐらいだ。しかし極めつけの映画は「恋愛専科」だろう。映画よりそこで歌われた「アルディラ」の方が有名になったかもしれない。考えてみればこれらは私にとってアニメと同じものである。まさに総合的な意味で文化として私の少年時代を制したものであった。
 「ヘンリーライクロフトの私記」の中にライクロフト氏がイタリアに対する想いとそこに行けそうにもない自分の身の上を悲しんでその悲しみから逃れるために自分の周りにあるイタリアに関する書物をすべて処分したという文節と同じような気持ちに襲われたことがあるがアニメ時代の若い諸氏は当時と比べると簡単に格安でその地に行くことが出来る幸せな時代である。ライクロフト氏はとある人の遺産を思いがけなく相続し、念願だったイタリアに渡るのだが、その感動を数語で書いていた。それ以上のことが書いていない分その感動の大きさが妙に伝わってきたという気持ちにさせられた。
 
 漫画が日本を文化大国に、世界の若者、子供たちを魅了するなどだれが想像しただろうか、ともかく若者を虜にしたという戦略は偶然だが見事である。日本の漫画、というよりアニメの素晴らしさは若者が主人公か、若者が興味をもつシチュエーションで描かれる。アニメの世界が自分の今の世界とシンクロするのだろう。そうなるとその主人公は勿論その主人公の住む町にも好感を持ってしまうのだろう。多分、アニメで切り取られたその町は素晴らしいと思われる、目に飛び込んでくる景色に物語があるからなのだ。切り取られた一コマが次のコマに移る間を自分のイマジネーションが補う。そうするとそのアニメの世界は半分自分の作品になる。
 最近、我が町を舞台にしたアニメがあると娘から聞いたが本考を書き始めてから一度それを見てみたいとお願いしてみたくなった。

泉利治

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