ブランドワークス

Column

入学式・入社式

 本日4月2日の夕方のニュースで様々な会社の入社式の様子が流された。これから大変だと思いながら高みの見物ならぬ高みのテレビ観戦となった。と思いながら考えたが私は入社式を体験したことがない。なぜならば最初から中途入社でその後3つばかりの会社を遍歴したがそれらの全てが中途採用、最後は創業入社?だったので何ともむずかしい。だが入学式はいくつか体験した。しかし、最後の学校は補欠というか、二次試験で入ったので入学式はしてない。でも卒業式だけは体験した。
 私の時代、入学式や入社式がどのくらい話題になったのか忘れてしまったが今ほどではないことは確かである。たとえば日本の場合入学式が話題になるがアメリカの場合卒業式が話題になる。日本は入学が大変で卒業は簡単だから、入学の価値の方が大きいのだろう。アメリカはその逆で卒業が大変なのである。アメリカの大学では徹底的に勉強をしないと卒業はおぼつかないらしいからだ。
 入学が大事な学校とはそれまでどのようなことを学んできたかを重視しており、卒業が大事な学校とはその学校で何を学んだかを重視しているのである。論理的に考えるとそれを受け入れる企業とすればアメリカの大学を卒業した学生を取った方が正解であろう。なぜならば最終学校での教育をきちんと受けて来た学生だからである。
 学校も教育もグローバル化の波の影響をもろに受けている。2020年の大学入試改革がその第一弾かもしれない。その波が中学受験にまで影響していることを目の当たりにして確かにショックを受けた。その名の通り「開成ショック」なのだが、開成とは開成中学校のことである。まず、その入学テストを見てその意味がよく分かった。それを目にしてこれは中学校の入学試験というより、中小企業診断士の試験問題ではないかと思ったくらいの問題なのである。
 その試験問題とはこうである―北海道の名産品をデパートに卸すビジネスをしている会社がカニ弁当を販売することになり、二人の社員に担当させた。規模の大きい池袋支店と小さい新宿支店である。池袋支店の担当者は500個発注し、新宿支店は450個発注した。
営業時間の9時から19時までの売上げ推移がグラフで記載されている。池袋支店では18時で完売したが、新宿支店ではその段階で402個しか売れておらず、最終的に430個しか売れず20個売れ残してしまった。
 その後その結果を部長が社長に報告した際の会話が記載されており、部長は規模の大きい池袋支店の担当者を評価した報告をする。ところが社長はそれをたしなめる。社長は部長の報告と売り上げ推移グラフから2点異論を述べる。それは何か?という問題なのである。
 実際の試験問題は売上推移グラフと部長と社長の会話が記載されている。さて、本考を読んでいる中のビジネスマンは挑戦していただきたい・・・?要は試験問題云々ではなくこのようなタイプの試験に対応できる教育をこれから行おうとしているのである。これは私立中学校の試験問題なので義務教育の学校である。私はこの頃の私自身の教科書や試験問題を記憶しているがいわゆる読解の問題で出される問題はいわゆる、文学作品かエッセイを抜粋したものでかなり形而上学的な?内容について答えるものであった。
 その問題はその文章の中の代名詞が何を表しているか次の4つの中から選びなさい?という程度のものだった。今から考えると私の受けた試験はかなり高尚な教育の問題であり、この受験校の教育は実務的な教育の問題である。どちらがイイかは何とも言えないがどちらが役に立つかというと受験校の学校に入った子供は優れたビジネスマンになるので日本の経済発展に寄与すると思われる。また高尚な教育を受けた私は優れた文学者になるかもしれない、しかし経済発展には寄与しそうもない。
 教育の価値を国家レベルで見るといかに国益を創出する国民を育てることにあるとしたならば明らかに開成中学校の教育の方が優れているといえるのではないか?ということが文科省の最近の判断なのである。
 日本の人口減少のトレンドは現実味を帯びてきている。そんな中で経済を維持もしくは発展させなければならない。経済発展の原動力はそれを担う国民の能力の総和である。アメリカのように多くの移民を是としている国ではない日本は基本的に日本の国籍を有する国民のパワー頼みなのである。安易に移民政策を取らない日本政府のやり方はそれはそれでポリシーは判る。しかし一億総商人化教育はどうかと思うかもしれない。
この試験問題の本質はあらゆる問題を自分の頭で考えて最適解を出す教育ととらえると違った側面が見えてくる。たとえばいじめの問題を考えてみよう。小さな子供がいじめを受けた際に自分をどう守るかを考えるのは本来、合理的な思考なのである。現実に処して自分の命を守る。私の時代は学校の中もそうだが何とも優しい時代だった気はするので、そんな切羽詰まった問題を抱え込むことはなかったので高尚な文学作品の読解力で済んだ?そうは言っても私は小学校時代に担任の教師からいじめを受けたが・・・・?
自身あまり頭がよくなかったせいが高尚な文学作品の問題は解けなかった気がしないではない。しかし、勉強できない子はそれなりに自分の世界の中で自分が創り出した面白い世界を闊歩していた気がする。だが、今の子どもたちは自分が創り出さなくともそれすら与えられる。要するに自分の頭で考えることを促す教育は絶対に必要な気がする。自分ならではの世界を持っている人は強いのである。
ただ、文科省の連中は多分GAFAあたりのビジネスがなぜ日本で創出できないのか?などの疑問からこんな教育方針を考え出した気がしないではない?

泉利治

Share on Facebook