ブランドワークス

Column

忘れえぬ人

 少なからず長生きするという事は何回も親しい人、愛する人、失いたくない人そして知っている人との別れが多いことを意味している。したがって、自分の心の中の何かが確実に失われていっているのである。もし生きている意味がその人たちに結びついているとしたならば残された人は歳を重ねるごとに生きている意味を失うことになる。
 身近にいる人はさておき、情報化社会の身を置いている私たちは信じられないくらい多くの人を知っている。ニュースや新聞などの死亡欄で知っている人の死に出会う。ああ、あの人も亡くなったのか。と独特の感情を抱くものだ。何の交流もない人でもそれらの人の死を確認することは、確かに何かを失った気がするものである。
 私はこの考を書く前に何となくクラムスコイの「忘れえぬ人」の絵を探した。一番の驚きは彼女の背景である街の景色がキチンと描がれていることに驚いた、また、黒い衣服のデティールを知って驚くほど緻密に描かれた絵であることを知る。もう数十年も前にこの絵を知って以来、私は肖像画の魅力に取りつかれたといってもいいくらいなのだが、この絵には様々な物語を伝える点において肖像画ほど奥深い作品はないということを教えられたといっていい。とくにこの作品のそれは世界最高の肖像画と言われるモナリザを超えるのではないと思っている。ただ、その背景にはこれがロシアの絵であるという事がある気がしないではない。革命、貴族社会の崩壊、それによってあてどのない旅に出る貴族の女性、その人を待ち受ける過酷な現実、それまでの幸せな日々・・・
 少なからずこの絵に惹かれる具体的な理由のひとつに、私の人生で身近なところにロシア革命で故郷を捨てたロシア人が現実として多くいたからだ。目黒に住んでいた頃、家業の関係で何人かのロシアの人を知ることになる。アレクサンダー・クラブソフ。唯一名前を知っている人だが、体の大きい当時70歳近い年齢だったのではないかと思われる。彼の奥さんも知っていた。The Mainichi Daily NewsとStars & Stripesの二紙を購読しており私は月に一度、集金に出かけた。ドアを開けて入口に立つとその正面の壁に小さなイコンのキリストの絵が懸っており、その空間を独特な匂いが支配している。日本の家は勿論、日本のどこでも嗅ぐことが出来ない匂いである。そう考えるとそこは間違いなくロシアなのである。
 クラブソフの家は目黒の油面という交差点を目黒駅に向かって右に曲がり300メートルくらい行った右側の高い塀に囲まれた大きな敷地の中にあった。その中には日本では見かけることのないそこそこに大きな木が2,3本林立しており、異国の風情が、それだけでもあった。クラブソフ自身は時々そこから1キロ以上離れた我が家の前でときどき見かけた、買い物か近所に住む同胞を訪ねてきたのだろう。悠然と、ゆっくりと私の家の前を通っていった。家で働いている人にあの人はどういう人なのかを聞いたら、ロシア革命で国を追われた人なのだということ教えてもらった。ロシア革命は中学で習い知っていたが、それで国を追われたという意味の本質どれだけ分かったか覚えていない。ただ、それは寂しいのかもしれないという事だけは分かった気がしている。
 何年かしてクラブソフの塀に囲まれた敷地の中にあったコテージにアジア系の家族が住み始めた。その塀の中は老夫婦だけではなくなったので随分と活発に明るくなった気がしている。また、私の家の裏にも何人かのロシア人女性が住んでおり、また、ロシア人女性を妻にした日本人のいえもあった。その人たちのつながりは日本人の、まして子供には分かるわけはない。
 目黒から鎌倉に居を移してこの地も何かと亡命ロシア人が住んだことを知って驚くのだが、その中でもっとも有名な人は霧島エリ子ことエリアナ・パヴロバであろう。私が越してきた30年前はまだ彼女が住んでいたバレエスタジオが残っており、七里ガ浜を他の海岸とは違う景色にしていることを鮮烈な記憶映像として覚えている。何年か後、そのスタジオが壊されることになり、そこにあったパヴロバの思い出の品々を観に出かけたがその中で見たパヴロバのバレーシューズがそのままの姿で眼に焼き付いている。最近と言っても数年前ユーチューブで原節子の映画を見ていた時、多分、この家で療養している人を見舞いに行くシーンが出たが窓から見える海が美しく、こういう景色をパヴロバは毎日見ていたのだなという実感が伝わってきた。
 
 本来の主題に戻ると昔の友人の夢を見て不思議な気持ちにとらわれて本考を書くことになったのだが、彼女は美しい若草色のスーツ姿で微笑みながら道の向こうからやってきた。随分と若いころかと思う。不思議なことに日本人離れをしていた彼女を抱きしめた時に彼女の化粧の下地が私の頬に着いてその香りが私から離れなかったので困るよと私は言った。 
若くしてと言っても50歳になるかならないで亡くなったのではないか、亡くなる年の賀状には昨年、大きな手術をしたの、大変だったのよ。と書いてあったがそれがそれほどのものであるという事をその賀状の文面から読み取ることが出来なくて悔やんだのを思い出した。その年の終わりに喪中のはがきが来て、驚いて彼女連れ合いにお墓はどこなのかと聞いたら、まだ決まっていないので遺骨は家にありますという短い便りが何日かして届いた。
 その手紙を見ながら彼女との思い出が広がった。昨夜の夢はその延長線にあるモノかもしれない。彼女と葉山のマレード・茶屋でディナーを楽しんだことがあった。当時、あれだけのロケーションにある店はなかったので貴族趣味の彼女はかなり気を良くした。私のことだから精々デニーズかスカイラーク位と思ったらしい。あの店にはそんな男前を一段アップさせるものがあるのだろう。
 彼女が亡くなってその彼女は私の中で数段美しくなったような気がする。

泉利治




Share on Facebook