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Column

石の上にも三年

 というけれど。この三年は何を表しているのだろうか?一般的にこの言葉は警句的に辛抱せよという事を意味しているのだろう。たとえばどんな嫌な職場でもその職場に三年もいれば、その嫌という気持ちも薄れていって、我慢できる範囲内にすべてがおさまる。という事なのだろう。この文章を3行書いてそんなことを思って、3行前に書こうとしていることを完璧に崩されてしまった。
 きっかけはこうである。私はこの一月でチェロをやり初めて丸3年になるのだが、さっぱり我慢できる範囲に行かないのである。我慢できる範囲とは、ともかく譜面通りにバッハの無伴奏チェロ組曲の一つを弾きこなすことなのだが、まったく歯が立たない。少なくとも我慢できる範囲にも近づけないというのが石の上にも三年の現実なのである。
 たしかに弦楽器は難解だということは聞いた。たとえばピアノなら誰でも指で叩けば音が出るが弦楽器だとそうはいかない。ピアノなら3つの音の和音を3つの音の鍵盤に当てれば音が出せる。しかしだ、少なからず3年で1000時間近く練習してきたのに3つの和音をまともに出すことが出来ない。
 左手の指は指盤を押え、右手は弓を三本の弦に2本づつ2回弾くことになるが、生理的に左手の指で音が出るように弦をきちんと指盤に押し付けることが至難の業であるし、右手の弓が弦と直角に適当な圧力で。二本を同時に擦りつける難しさといったら、なんとも表現のしようがないものである。まして二本の弦から同じボリュームの音を出すことは信じられないくらいに難しい。ただ間違いなく私はゴールに近づいていることは確かである(と信じてやってはいるのだが?)
最近、仕事の関係で教育について考える機会が多くなったのだが、たとえば日本の大学生とアメリカの大学生ではその能力差はかなり大きいと言われている。少なからず私の時代の能力差を考えてみると、それは教える側の問題ではなく、教わる側の問題として片づけられてきた。たとえば日本の大学生の学習時間はアメリカの大学生の半分しかないという。また、学生一人当たりに年間どの位の費用がかけられているのかを調べるとアメリカは363万円に比べ、日本は231万円なのである。
 私のように本来教育の専門家ではない人間がその事実から推測するに、私が勉強をしなかった理由は私の性格の問題ではなく、そんな性格の人間を教育するだけの資金が国家と我が家になかったことによる結果といえるのである。確かに小学校から有能な家庭教師でもつけてくれたのなら、成績も向上し、この私でも勉強好きになってコロンビア大学ぐらい行ったかもしれないと思われるからである。
 要するに教える側の方法の改善が人間の能力向上の決め手になるという事なのであるが、それ以前の子供について考えると親と教師からさんざんな目にあってきたのだなと思わざるをえない。その全責任を小さな子どもの心の中で消化してきたのだからである。勉強嫌いの子はそんな心の葛藤の中でますます、勉強が嫌いになり、学校が嫌いになり、先生に憎悪の念を燃やし、親を恨むのである。
私は少なからず教育のその基本的な問題についてやっと時代について行けるようになったのだが、その見解に行きつくまでかなりの時間を費やした。つまり、正しい教育とは簡単に言うとオーダーメイド教育という事である。私の時代の教育は正にレディメイド教育であり、その教育メソッドにあった子供だけが頭のいい子になったというわけである。余談だが私は体型的にも腕が少々短いらしく、3センチから5センチくらいをA4のスーツの袖丈をカットしたものである。頭も体型もレディメイド向きではない自分はそんなわけで暗い少年時代を送ったというわけである。
 しかし、とは言っても、68歳の手習いで始めたチェロ、教師やメソッドだけのせいには一概に出来ない気がしないではない。絶対努力というのはありそうである。このチェロチャレンジには3つの壁がある気がする。一つは運動学的なこと、生理的に高齢のために肉体が壁になっている、たとえば指が動かない、楽譜に記載してある指番号が見えないなど。二つ目は頭脳的なもの、リズム感や音程。たとえば昔からシンコペーションのリズムがどうもとれない。こうなると地獄である。こうやって弾くのだよと簡単に先生は弾いた後、やってごらんなさいという。“ほらっ!できたじゃない?”と言って彼女は満足するが、ところが本人は?全然できないのである。いつも思うのだが、もし、7,8歳の子どもなら、本当に出来たのであろう。これは理性的に出来るのではなく、感覚的に出来る種類のことだからである。正直ここが一番つらい局面である。メトロノームのリズムと同じように曲が創られてはいないのである。3つ目はかならず達成できるという、自分自身に対する確信だろう。歳だから?という自分に対する諦め。
確かにとんだ迷い道に踏み込んでしまったというのが現在の正直な感想である。楽器演奏、特にチェロは左手の指だけの小さな運動と弓を弾く右手の大きな運動、譜面どおりに弾くための頭脳の運動と、理想的なボケ防止の運動のような気がしないではない。それと、独特な緊張を強いられる。老人には無縁の世界である。それと、もし弾けるようになったら大きな達成感と同時に計り知れない満足感をも与えてくれそうである。徐々に老いてゆく肉体と精神を保つ最良の薬かもしれない。
ただ、今だからいいこともあった。本来、チェロの初心者の教則本などの練習曲は先生から弾いてもらってその曲のイメージが分かるものなのだが、いたってマイナーな曲でもYouTubeで検索すれば世界の誰かが弾いているのである。したがって、初めての曲でも、初めの段階でその曲のイメージがつかめる。これは初学者には大変いいことである。私は楽譜の脇にスマホをおいて練習している。またスマホが録音機能も持っているので自分の弾いたものを聴くこともできる。しかしこれはあんまり使わない。反ってやる気を失うからである。

泉利治

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