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Column

才能

 元来、映画好きなのでテレビでもニュース以外は映画しか見ない。ケーブルテレビになってから、夜はケーブルテレビでいくつかのチャンネルを回し、面白そうなものがあったらそれをみている。同じ映画はあまり見ない主義だが、気に入っているものが掛かるとまた見入ってしまう。
 とくに最近の見方で変わったのは、なぜこの映画は面白いのだろうか?どこがおもしろいのだろか?などの視点で見るようになった。まったく、自分の知らない世界で、本来、面白く感じる理由などあるわけがないと思うような世界の映画でも、不思議なことに面白い映画や物語があるのである。
 多分、こんなことを考えたのは一昨年まで暇にまかせて書いた小説のせいである。いま、11時15分に映画を観終わった。「ショーシャンクの空に」である。この映画が名の知れた映画であることは分かっていた、勿論、最初に見たのはやはりケーブルテレビである。それでも4~5回は見ている。それでも飽きない映画である。
 元来、どういうわけか脱獄物は好きな部類の映画で今から半世紀前のフランス映画の話題作「穴」がきっかけであり、その頂点にあるのがステーブ・マックイーン主演の「大脱走」である。その後、クリント・イーストウッド「アルカトラスからの脱獄」も記憶に新しい。それぞれに面白さが違うが最も哲学的なのがショーシャンクであろう。この映画は脱獄の映画ではあるが、それらの映画の共通項である脱獄のためのプロセスが皆無の映画である。脱獄の映画でありながら観客は刑務所の看守や他の囚人同様、当人が脱獄をしていなくなるまで分からないという意外性がある脱獄映画なのである。
 今回のタイトルにある「才能」とは「ショーシャンクの空に」の原作者スティーブン・キングのことである。この物語はかれの短編小説「刑務所のリタ・ヘイワース」を映画化したもので、この作家の凄さは映画にしたいと思わせるような物語の面白さがある本を書く才能である。といっても私は彼の本を一冊しか読んだことがないがどちらかというとそんなに話題作ではなくそれでいて分厚い本だったのでどうかな?と思い、恐る恐る買ったのだが、期待は裏切られることはなかった。間違いなく名うてのストーリーテラーである。
 彼の紹介記事を読むと皆、モダンホラー作家という事らしい?新しいジャンルを開拓した作家といえるであろう。私の最初のキングの体験はジャック・ニコルソンの「シャイニング」だったことを後から知る。今から考えると確かにあれはモダンホラーと言えるのかもしれない。あの映画は先駆的な映画をつくる巨匠スタンリー・キューブリックの作品なのだが、かれが現代の新しいタイプの恐怖を作りだしたことは間違いない。そんな印象を微かに覚えている。
 芸術は人間の感情に訴える方法である。そして、そのタイプは喜・怒・哀・恐に分けられそうである。基本的にそれは個人に訴えるものであるが、同じような訴えを感じた人が多ければ多く、時代を超えて多くの人たちへ訴えたものは名作と言える芸術になるのであろう。
 ただ、人はその個性によって好みがあり喜怒哀恐のいずれかに偏る。スティーブン・キングはホラー作家だから最後の「恐」になるのだろうが、ショーシャンクは「喜」の部類に入るかもしれない。映画では最後の10分かそこらにその部分が凝縮されており、驚きと喜び、そして感動が観客をさぞかし魅了したことであろう。実際、原作は短編小説という事から映画をつくった人たちのイマジネーションの余地がだいぶ残されていたのではないか?いくつかの映画は間違いなく原作を超えることがある。
 彼の経歴を見ると物書きらしい人生を送って、なるべくして小説家になったのだが、かれの経歴を読んでモダンホラー作家になったきっかけは父親が煙草を買いに行くと言って、家を出たきりこの世から姿を消したことにあるのではないか?彼が2歳の時というから、そのコトが微かに記憶に残っていたかもしれないが、彼が大きくなるにつれてそのコトについて様々な想像を廻らしたのだろう。そのことが彼の才能をつくった気がしないではない。家族の大黒柱である父親が姿を消すなどという事は70年も前の社会ではどれだけのことなのだろう。少なからず道徳律として現代の父親よりも確かな時代のような気がするので稀なことなのではないか?そんな気がするからである。
 今の世の中では父親が姿を消すことに対してなまじっか情報が先行して子供のイマジネーションを拡げることを妨げてしまうが、当時はどうだろうか?無限の広がりがある気がしないではない。子供は大人と違った想像をするだろう。大人はどこかの女と逃げたくらいのことしか考えないかもしれないが、子どもは違う、その想像力はあらゆる小説のジャンルを飛び交うに違いない。
シャーロック・ホームズ譚の中に未解決の事件のいくつかをワトスンが書いている。その一つに「傘をとりに家に戻ったきりこの世から姿を消してしまったジェームス・フィルモア氏の事件がある」があるがこの事件は何とも魅力的な事件であることを思い出したのである。のちに原作家のアーサー・コナン・ドイル卿の孫?のアドリアン・コナン・ドイルとジョン・ディクスン・カーが、このワトスンの断片的な記述から一つの小説を書いているがこれはこれで一山ある世界なのである。失踪とは行く先が宇宙から北朝鮮まで、自力か他力か?そのパターンは無限である。
 そんなテーマをかかえて青春を過ごしたとしたならば類まれな才能を育てることが出来るのではないか、そう考えると私はそのような体験の機会に気づかずに青春を過ごしたらしい。

泉利治

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