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Column

カズオイシグロ

 昨日のニュースでカズオイシグロの名はメジャーになった。微妙な表現だが日本人の4年連続のノーベル賞受賞という記録が何となく首の皮一枚でつながった気がする。だが、個人的にもこの受賞は心からおめでとうと言いたい。正直に言うと25年近く前に一冊しか読んでいないがその一冊でこの人はノーベル文学賞をもらう資格があると思ったからだ。これはあくまで個人的な見解だが村上春樹氏の作品と比べるとどことなく文学の薫りがするのである。私の基準では村上春樹は小説家だがカズオイシグロは文学者の感じがする。カズオイシグロのことは何回か前の本考「ダウントンアビー」で書いた。また、先週のテーマが面白い小説についての考察だったので今回のイシグロ氏の受賞は彼の作品をもう少し読めば分かるだろうと言われているような気がして俄然、読む気になった。
 それにしてもこのニュースはニュース的価値があったようだ。A紙などは一面に載せていたし、ワイドショーでもトップニュースとして取り上げた。その中で面白かったのは常に論理的に考えてものをいうコメンテーターが“自分は英語を読めないので、翻訳本(多分、小説類?)は読まないのだ。したがって、何もコメントできない!”と言っていたことである。だが、私に言わせると“ぜひ一冊彼の作品を読みなさい”と言いたい。というのは私の読んだ一冊「日の名残り」を読む限り、その翻訳も超見事で私に言わせればナマジの文学作品より、文学とはこういう作品を言うのかと思わせるものがあったからだ。
 それは翻訳者の翻訳能力もあるがそれを書かせた原作者の能力なくしてはありえないはずだ。日の名残りは新聞にも書いてあったように英国貴族の名家に仕えていた老執事の物語でまさに英国人にしか書けない一冊という気がするし、これが評価されて英国の小説の最高賞であるブッカー賞をもらったのも頷ける気がしたものである。思うのだが日本の芥川賞とブッカー賞の違いは正直、その受賞作品を見ればわかる気がしないではない。日本の芥川賞は野球でいうところの新人王みたいなものでそれを受賞した人が野球史に名を残すか?大リーグ史に名を残すかの補償などは全くないからだ。正直、3年ほど前の芥川賞の作品を読んでこの作品のどこが芥川賞に値するのか?と疑問を抱いたくらいで、これなら俺も応募しようと思ったくらいの賞なのである。(現実応募して落選したが)
 
 カズオイシグロの作品について語るなら私の虎の子の一冊と新聞の評論から考える限り、まずテーマの選択の見事さがある。私の場合は映画「日の名残り」が先にあり、本を読んだのだがその映画以上に素晴らしかったのが原作だった。ともかく静謐に満ちたその文章は見事なまで多分、原作の薫りを伝えているような気がした。でないとこんな翻訳は出来ないと思ったからである。それは原作の老執事がいた世界の独特な格調の高さを伝えていたのだろうと思わせる文体の語り口なのである。
 こんなことを言うのはおかしいがその背景には英語と日本語の翻訳の歴史の長さと大きさがあるような気がしないではない。ともかく、日本人は英国文学の翻訳に関しては質、量とも大きいからである。したがって、翻訳者の質と量も豊富なのではないか。
 先週の未解決な問題点。面白い小説とは何か、それ以上に面白い文学とは何かについてある程度の答えが得られた気がしないではない。というのは昨日、ある人物に手紙を書いていた。それが微妙な疑問を解決するための手がかりを与える手紙なのであるが、その受けとる本人がどのような人か分からない。ただ、私に微妙な質問をしてきたその質問に答えるだけが今回の手紙のテーマなのである。したがって、その質問が彼のニーズであり、そこにどう応えるかがこの手紙の価値なのである。
 たぶん優れた小説とは多くの人の共通の質問に対して作家が手紙を書くようなものなのだろう。そう考えると分かりやすい。そして、その答えに感動するか、幻滅するかでその小説の価値が決まるのだろう。また、フィクションとノンフィクションの違いはそのテーマの起承転結の「起こり」の部分から書いたものが小説で「起こり」の部分をよそから借りてきたのがノンフィクションと言えるのだ。
 どちらも価値はあるがむずかしいのはフィクションである。カズオイシグロの「日の名残り」を考えてみると起こりの部分は英国のマナーハウスから始まる。このテーマどう考えてみても日本人には縁遠い起こりである。現在なら例のテレビドラマ「ダウントンアビー」いくらか知られるようになったとしても、日曜日の夜11時からという現実がその世界の物語の特殊性を物語っている。私はその世界に元来興味をもっていたのでまず映画をみて、今まで以上に魅了されてしまった。それから原作を読んだのである。その他、ビデオも持っているので何度も見たのである。
 カズオイシグロ論で見ると確かにあの小説は過去と現在が複雑に絡み合いながら物語が進行する。また、様々な解説を読むと現実と幻想が絡み合いながら展開する。そのあたりがこの人のノーベル文学賞のきっかけになっているのだろうが、その描写は確かに美しいリリシズムに満ちて一部の人にとってはたまらない魅力となっているのだろう。
 このあたりの展開はイギリス人のならではの世界なのではないか、ジャンルは異なるがミステリー作家のロバート・ゴダートの作品もほとんどこの手の展開である。ただし、ゴダートの場合は過去の取るに足らない小さな出来事が犯罪のきっかけになるというものだがそこが素晴らしいのだ。一概にミステリーというだけでは留まれない世界がある。
 もしかするとこの手の小説は高齢化社会になるとかなり注目されるのではないか。というのは歳をとるとどういうわけか現在の真実を過去の予兆として読み解こうとするからだ。これを機にイシグロ氏の作品をもう少し読んでみよう。

泉利治

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