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Column

人間の品質

 品質という概念と直面してきた半生のような気がしている。ここ一週間改めて品質に対峙している。といっても直接対峙していたのはロイヤルティという概念で人間が物事にロイヤルティを感じるにはどんな前提条件が必要なのだろうかと考えたのである。勿論、品質は不可欠であろうと考えたが、自動車の品質についてGMの自動車がアメリカではトヨタやホンダよりかなり落ちるがロイヤルティは逆であるということや、マクドナルドの品質は良いとは誰も思っていないがロイヤルティは高いという事実を目にするにつけ品質とロイヤルティの関係の難しさに苦慮している。
 そんな時、財務省の最高位にいる人物のセクハラ疑惑が詳細にわれわれに知らされた。何となく喜劇的なやり取りが国家資格の中でも最高レベルの国家公務員総合職試験に合格した人物によって展開されたことに、この人物、偏差値的能力は高いのかもしれないが人間の品質はかなり低いということが頭に浮かんだ。この人物は、まず東大の法学部を卒業して、国家公務員総合職といういわゆるゼネラルな人物としては最高位の経歴を持つ人間であり、また、当時の国家試験の順位は5番目の成績で合格しているという。唯一、ここが一番でないという事でオチはつくがこれがこの人物の品質が劣る理由にするには少々弱い理由かもしれない。彼はいわゆる超優秀な能力を持った人間なのである。しかし、昨日とうとう財務次官を辞任するというニュースが流れてきた。
 
人間の品質を測るのに明確な基準はない。ブランディングの知覚品質を参考に、その評価項目を自分なりに考えてみると、能力、経歴、道徳性、健康性、社会適合性、教養、アピアランス、好感度・・・という具合に上げてみた。人はそのような基準で人間の品質を感じるという仮説である。この辞任した次官をテレビ等であげられている情報から評価してみると能力―A、経歴―A、道徳性―C、健康性―B、社会適合性―C、教養―C、アピアランス―B、好感度―C、である。最高点は24点、平均点は16点、最低点は8点として計算するとこの人物は14点で明らかに平均以下ということになる。したがって、私は彼の人間としての品質が悪いと思ったのだろう。
 彼がなんであのような人間になってしまったのかの理由は簡単で彼がどのような人生を今まで歩み、その中でどのような体験を学習して来たのかと大いに関係がある。多分、その傲慢さは学校という人間にとって最大の学習期間における体験によるものだと思われる。往々にして、学校において勉強ができるということで特別な目で見られ、評価され、教師や他の生徒から尊敬の目で見られ、揚げたて祭り上げられたはずである。その後の大学でそれは完全に証明された。そこで彼はそれを社会的な評価を得たと思いこみ、その後の国家試験総合職という社会人における最高位の試験で合格して彼は自分を神のごとき能力を持った特別の人間と思うようになったに違いない。
 犯罪行為をしない限り自分は何をしてもいいのだという勘違いを学習してしまったと思われる。道徳性と社会適合性の欠如は彼の人生を狂わしたことになる。しかし、国家は国家試験を通った人物という事だけで彼をその後もそれなりの処遇をすると思われるが多分、彼は特別の能力、この特別とはスペシャリストとしての能力はないので、あの資格を持った普通の人物としての並みの処遇で今後の人生を終わるに違いない。財務次官という職位と職種はショパンコンクールでの一等や人間国宝の栄誉を得た人物と同等の職位と職種とは明らかに異なる資格であるからだ。
 
 こんなことをここまで書いた時、今朝の新聞に目を通すと似たようなことが書いてあったので笑ってしまった。小津安二郎の「小早川家の秋」で原節子の言うセリフ「品性の悪い人はごめんだわ。品行はなおせても、品性はなおらないもの」である。原節子のファンの一人としてこのセリフはまったく覚えていないが、不思議なことに原節子のそのセリフはくっきりと聞こえるのである。言葉の独特なイントネーション、それを言っている時の表情や服装などもなんとなく目に浮かぶから不思議である。そして、原節子ならそう言うに違いないと妙な確信をしてしまう。
 品質、品性、品行。言葉としては品性や品行の方が人間について語るにはふさわしい。確かに人間の品質なんて云う言い方をほとんど聞いたことはない。しかし、今回の問題の人を精査するにあたって思ったのは品性や品行などの言葉の範疇で語れるようなものでない気がしたからだ。よくよく考えると本質的にセクハラなんて言う範疇では語れない人間の尊厳を無視した。特別な権力を持った人間の犯罪のような気がしないではない。
 私が感じた例として思い浮かんだのは「シンドラーのリスト」の中の一シーンでレイフ・ファインズ演じるナチのユダヤ人強制収容所の所長であるアーモン・ゲートが朝起きて寝室に続いたベランダから、働いていないユダヤ人をスコープ付きの高性能ライフルで撃ち殺すシーンである。要するに特別な権力を持った人間は何をしてもよいという事なのである。私はあの映画のシーンを見てこのようなことを本当にやったという既視感に襲われたが、同じような構図が今回のことで女性記者に向けて発せられた言葉の中に感じたのである。言葉というライフルで人間の尊厳を狙い撃ちしているような・・・財務省がナチとは思えないがそれが権力を持っている以上そのトップは権力というライフルを持っていることは間違いない。

泉利治

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