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Column

ドメスティックテーマ

 アマゾンのプライムビデオの会員になってから、映画をよく見るようになった。ここで見ることができる映画のいいところはマイナーだがいい映画を見ることができる点である。それとドメスティックなテーマの映画である。
 現代の日本では想像がつかない体験を描いた映画として偶然だが2度同じテーマの映画を見た「テイキング チャンス」と「30年後の同窓会」、テーマはアメリカの湾岸戦争などで戦死した若い兵士の遺体をしかるべき場所に埋葬するために送り届ける物語である。戦争の理由はともかく死者に対する人々の尊厳が見事に描かれており、アメリカという国の信念のようなものが描かれている。
 本来、あまり儀式というのは好みではないがこのような状況において儀式がもつ重要性が伝わってくる。つまり、儀式とは社会の総意として特定の意味を伝えるものなのである。
この映画で伝えたかったのは理由はともあれ、ともかく国家のために国民として最高の働きをしてくれた人物に対する国家の気持ちを伝えることなのである。
 いわゆる、国に遺体が還ってきた時の窓口は軍になる。その時の軍の担当者ともいうべき軍人はその地位の最高の軍服を着て迎える。その仕草は深い感動を呼ぶ、たとえば軍人の場合の挨拶は敬礼が重要な仕草になるのだがそれは一般的に我々が知る、素早く顔の脇に右手をもって来るのではなく、その10倍くらいの遅さで、いわゆるスローモーションのようにゆっくりと、寝ている英霊を起こさないように、静かに厳かに行うのである。
 驚くべきことにそれを映画として、物語として見ているわれわれもその厳粛さに思わず息が止まってしまうくらい見事なのである。それ以上に人間が人間に対する最高の尊厳をはらうということはどのようなことなのかという事を教えてくれる。
 また、国民のだれもがその人それぞれの国家に対する働きに対する畏敬の念を示す。たとえば遺体をその人の生まれ故郷に運ぶ際の自動車は昼間でもライトを灯け、いたって、ゆっくりと走る。ゆっくりと走るのだがその後ろについた自動車はそれを追い抜こうとしないで後ろにつく、地方の田舎道の場合などではその結果、長い車列、全ての車がライトをつけた車列が、ゆっくりと走ることになる。国民一人ひとりの戦死した人物に対する礼儀なのだ、それは、その気持ちが国民にいきわたっていることを示している。映画はその様子を感動的に描く。
日本ではそのようなことがテーマになることはないだろう。だから、アメリカならではのテーマなのである。そこにあるのはいかなる理由の死であれ、国家のために命を捧げた人に対する礼の儀式なのである。
「30年後の同窓会」ではその英霊をそのために眠るべき場所である有名なアーリントン墓地に埋葬しようとする軍に対して、自分の息子が戦闘で死んだのではなく、友人たちのコーラを取りに行った際に敵に後ろから撃たれたことを知り、国家のための戦いで命を落としたわけでないこと知った父親が、アーリントン墓地に眠る資格がないことを知り、生まれ故郷の墓地、家族である、先に亡くなった母親の脇に埋葬することを主張して故郷に持ち帰る物語なのである。
その際に父親はベトナム戦争で一緒に戦った戦友の二人に同行をお願いするべく、ネットで二人を探り当て同行をお願いするところから映画は始まるのだが、それぞれに事情を抱えた二人は躊躇しながらも最後は息子を亡くした戦友のために最高の働きをするのだ。たとえば父親はそんな死に方をした息子は軍服をきて埋葬されるべきではないと主張する。二人はどんな死に方をしたにせよ戦争に行ったことは間違いなのだから、軍服を着せるべきだと主張する。
しかし、長い道中の中で父親の気持ちは変化する。確かに理由はどうあれ息子はそんなことで命を落とすことを望んでいなかったであろうことを考えると、息子の気持ちが分かるようになる。故郷の墓所までの長い旅路はそんな息子と父親の無言の対話を描いているのである。
最後に息子が生前父親に対して書いた手紙を息子の戦友から渡される。その手紙を開けることに躊躇する父親に対して、友人が励ます。最後の勇気を奮って手紙の封を切る。そこには自分が命を落としたならば軍服姿で母親の隣に埋葬してほしいと書いてあったのである。

死者に対する厳粛な気持ちは国民性や宗教や文化を超えたものなのである。その気持ちが儀式となって結晶化されるのであろう。日本ではこのような儀式がないような気がしないではないがこれは多分としか言いようがない。明治政府が西洋諸国から様々なものを輸入した中にそのような儀式があるに違いないと思われるからだ。そのあたりを重視したのは山縣有朋だというようなことを何かの本で読んだ気がするし、最高の軍服に関しては乃木希典はヨーロッパに留学した際の論文がなんと軍服に関した論文だったからである。確かに水師営で乃木希典大将が来ていた軍服は何とも格好が良かったことを子どもながら私は覚えているからである。
 
このようなテーマについて書いたことがなかったので私が書いた文中の語彙が適当でない気がしないではない。滅多に書くことがない概念を書くにはあまりにもボキャブラリーが貧困なのである。ご容赦願いたい。

泉利治

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