貴種かもしれない。と時々思う。何が?というと一言で言うと価値観やライフスタイルである。ただ、正確に言うと団塊の世代の少し前の空白期–終戦の1945年8月以降に生まれ、1946年12月31日までの1年と4カ月間の間に生まれた人達である。
先日、そのような友人の家に一晩お世話になった。信じられないくらいの素晴らしい場所で暮らしている。2500坪の領地に居を構えており、面前の山は山霧がかかると頂上が見えず、足元には渓流が流れる。館は築100年を越えた古民家を氏ご夫婦で現代的かつ機能的にアレンジしている館である。
まさに私が憧れた真のジェントルマン生活なのだ。氏はデザイナーとしての私の先輩であり、デザインで給与をもらうという覚悟を教えていただいた師でもある。かれはモノづくりにおいては稀にみる貴種であり、その血は代えがたいものである。
職場において彼が創造するものと私の創造するものはかなり違っていた。かれの造形理念には父から受けづいた備前焼の精神が宿っていた。その造形には一本、筋が通っていた。それはいい悪いではなく、いわば不動の精神である。
デザイナーは一般的に時代のちょっと先を見据えてデザインする。この時代というのはいわゆる不特定多数の人々の嗜好のようなものである。これは数年後、多くの人たちが好むであろうデザインのことである。私などは基本的にそんなことを漠然と頭においてデザインの仕事をしていた。しかし彼は何か自分が背負っている、何かを基盤において、その命ずるものを形や色に置き換えていた。だから、彼が作り上げた作品は渋い色合いを持っていた。それに比べると私のそれは輝くようなイタリアンレッドを纏っていた。
その当時、私は彼が指示する色合いを個性的と思っており、自分には絶対考えられない色合いであった。それに比べると造形は、基本的に機能があるので人間の体形や動きに左右されるのでだれが作っても機能的には変わらないことになる・・・・・
書きかけのエッセイがデスクトップの中に残っており2回読んで少なくとも半年前の書きかけの「慎慮と洞察」であるようであった。私の貴重な先輩の家に泊めていただいた時の感想や回想を書いた断片が残っていたのであった。
連絡しないといかんなと思った。と言うのは私たちの交友関係を考えるといつ?どちらかが途絶えるといけないからである。その時では遅いのであるからだ。そうだ、メールをしてみよう。そう考えると私の友人たちは何とも貴重な存在ばかりのような気がする。
私のように少々人づきあいが悪い人間には人づきあいの大事なことが身に沁みて分かるものである。とくに昔の体験を共有している者同士のはである。歳をとるということはそういうことなのだ。そう言えば私はあと数日で79歳になる。もう大台は目の前である。そう考えると現在お付き合いしている方々は現役の社会的に名声のあるお方が83歳と75歳、
趣味の友人も75歳、冒頭に書いた先輩が80歳、元ホンダの同僚が79歳と77歳か?
お互いに貴重な齢を持している貴重な友人たちである。
2025年6月9日T>I