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Column

ヨーロッパ・トラムの旅

 「ヨーロッパ・トラムの旅」という番組が現在、午前3時、とか4時くらいの真夜中に放映しているのを家内が録画してくれているので私は食事時に必ず見ることができる。
昨日はアムステルダムであり、その前はプラハだった。その時々にそれぞれの都市の寺院や広場など特徴的な場所の場合はテロップが出るのでそれをメモしておく。後でストリートヴューで見るためだ。
 トラムとは東京ではかつて都電という名称だったが他の都市では市電といったようだが、一般的にヨーロッパではトラム言われているようだ、最近、日本のどこかの都市がトラムを取り入れたというニュースを見たが、そのトラムはヨーロッパで走っているものと同じであったので、それを創るメーカーは世界でも限られているのだろう。
 トラムは電気で動くので空気は汚さないし、高齢者にとってもありがたい。日本はトラムの代わりにバスにしたのだろうが、最近は運転手不足でバスはたくさんあってもそのバスを走らすことができないようだ。

 私は「ヨーロッパ・トラム旅」番組を見る理由は何となく懐かしいことと、その街に住んだことがあるという不思議な錯覚を感じるからである。人は何かのきっかけでその街に住んでいるもので、多くの場合そこは必然ではなく、偶然なのだ。
私は山形で生まれ、父が東京に新しい事業の一環で店を持つことになって、小学校2年生の時に大森に住んだ、その後、目黒に住んで、今、鎌倉に住んでいる。現在の鎌倉に住んでいるのも、娘が生まれて、空気のきれいなところに住みたいという、ことが様々な条件下で可能になりここに住んで35年くらいになる。鎌倉に住む前にもしかしたら私は鈴鹿に住んでいたのかもしれなかった。HONDAに勤めていた頃、埼玉にあった職場が鈴鹿に移転することになり、私は住まいだけではなく職業も変えざるを得なくなったのだ。そう考えると人が住まいを変えるということは職業に左右されることが多いかおしれない。私の場合そうであった。

 ヨーロッパ・トラムの旅を見ていると何かこの街に住んだことがあるような錯覚を覚えた。先日、プラハを見た時そんな気がしていた。プラハは一度も言ったことはない街であるが何となくそんなことを感じるのは街の様相がウィーンと似ているからかもしれない。ウィーンは何回か行ったので、街の空気に何か独特の感情を感じ取るようになったのだ。
 しかし、ここに借りに住んでいるとしたら絶対的な孤独を感じるに違いない?やはり異邦人だからなのである。住まいは人とのつながりで成り立つものかもしれない。日本に住んでいる日本人でも絶対的に一人の人は大勢いるようだし、私の鎌倉でさえ、一緒に暮らしている妻と、近所に住んでいる娘がいなくなると近所の親しい人も少なくなってきているので、何かあると市役所と警察署の人しかいなくなるのである。そう考えるとプラハに住んでいても変わらない・・・・ではないか、人はやはり孤独なのだ。
 多分、私がヨーロッパ・トラムの旅に惹かれるのはそれならばお気に入りの街で暮らして、亡くなりたいと思っているのからかもしれない。どう考えてもアイガー北壁を夢見ないのだからそこではない気がする。

 ジョルジュ・ローデンバックの小説「死都ブルージュ」という本がある。主人公が偶然ブルージュを訪ねてきて、亡くなったはずの愛する人を偶然、見かけるという小説なのだがブルージュに行った時、その小説を書いたキッカケが分かった気がしたものである。
ただ当初、ブルージュに住んでいる人は自分の街が“死都“として知られるのが遺憾と思ったらしく、最初は迷惑したという話を聞いたが、今はどうであろうか?いずれにしてもそのほかにこの街のキャッチフレーズが「北のベニス」なので「死都ブルージュ」の方が個性的でインパクトがある気がしないではない。北のベニスでは「秋田の小京都」と変わらない。
 ブルージュはあまり紹介されない街だが、私がそこを知ったきっかけも40年近く前のセゾン・ド・ノンノで紹介されたので知ったくらいで、ベニスに比べると、観光の対象はそんなに多くない教会や修道院と運河くらいしかない、地味なヨーロッパの小さい街である。。
だから、“愛した人の面影を求める街”としたら世界中から観光客を呼べるかもしれない?「死都ブルージュ」より、よっぽどいい!
                             2024年10月7日T/I

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