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Column

Mr.TOFU

 NHKの番組の一つで「逆転人生」という正にタイトル通りのドキュメント番組を放映している。テレビはあまりみないので多分、この一つを除いて、後にも先にもこの番組を見ることはないと思われる。唯一、見たのは一昨年の夏に“トーフをアメリカに広めた男”が放映された時である。
 その人は雲田康夫氏である。氏は青山学院大学を卒業後、森永乳業に勤められそこで担当したのがロングライフ豆腐のマーケティング開発、しかし、これを日本市場で売り出すことは法的な壁があり叶わなかった。豆腐は街の商店が自家生産して売っているものであり、大企業がその市場に参入することはまかりならんということなのだ。
 そこで森永乳業は社内にこの事業の種を何とか実らせる手はないかと社員からアイデアを公募した。雲田氏は気軽に日本がだめならアメリカで売ればいいではないかと考えそのアイデアを企画書にまとめて応募した。その段階で、まさか自分がアメリカに行くなどとはこれっぽっちも思っていなかった。しかし、その企画が社長の目に留まり、君が行って来いということになった。かれは焦った、まさか自分が行くとは想定外、また「英語の青山」学院を卒業しているのに英語もおぼつかないということなのだ。しかし、あの時代の企業戦士は凄いもので社命とあらば死を賭して行くのである。
 行ってみて分かったことは想定内であったようだ。アメリカ人にとってTOFUは大豆で出来ているということで躓いた。大豆は家畜の飼料であり人間が食べるものではないとの理由からスーパーマーケットで紹介されるのはペットフードバイヤーだけ・・・・
まあ、そうは言わずまず食べてみてくださいと、試食を進めた。TOFUの小片にかつお節を載せる。その段階でかつお節を知らないアメリカ人は載せた段階でかつお節が水分を吸って奇妙に動くその様に異様な虫が動くように感じたらしく、気持ち悪がって手に取ろうともしない。今度はかつお節ぬきで醤油だけをかけたがほとんどだれもがそれを美味しいとは思わなかった。そんなこんなの状況から日本本社からは撤退を迫るFAXの嵐・・・・ついに諦めて日本に帰ろうと思い。見納めにスーパーのTOFU売り場をのぞくとお婆さんがTOFUを何個もカゴに入れているではないか?不思議な光景だったので雲田氏が聞いてみると
「果物と一緒にミキサーに入れてシェイクして朝食にするのよ」
「衝撃でしたね、郷に入れば、郷に従えですね!」このTOFUシェイクのお陰でなんとか行けそうな感触をつかんだ雲田氏はもうひと踏ん張りすることを本社に連絡した。お陰でチャネルの数も増えつつあった、が、また壁にぶつかる。
 私は食品のマーケティング戦略も考えたが、食品は普通の消費財のマーケティングとはかなり違うものなのだ。イメージで食べるものではないからだ、嗜好品の場合はそれはいくらか成り立つが一般的な食品の場合は全く成り立たない。ヒットしても一過性のもので終わってしまう。
 売り上げが伸びない中で悶々としながら会社から自宅に戻る道すがらカーラジオから流れてきた“ヒラリー・クリントン大統領夫人が健康のためTOFUを食べている・・・”
氏はこの機会を逃すわけはない、ホワイトハウスにTOFUとレシピ本を送る。今度はテレビで肥満予防にはTOFUが一番とコメントしてくれた。そうすると全国のスーパーから引き合いが殺到。かれはMr.TOFUとし全アメリカに知られることになる。
 アメリカでヒットすると同じ肥満を気にするヨーロッパに伝播する。豆腐はTOFUになり世界の健康食になった。今、私たち日本人は豆腐を世界のスーパーの店頭で見ることができる。何の気なしに見るその風景の裏には以上のようなビジネスのエッセンスが詰まった話を聞くことができるのだ。そんな氏に対して政府は平成28年「旭日双光章」、農林省は日本食海外普及功労者農林水産大臣賞などを贈った。その他アメリカでも数々の賞を受賞した。世界の人々に新しい健康のアプローチを提案したのだ。

 雲田康夫氏は先月25日にすい臓がんのために81歳で日本で亡くなられた。最後は“日本の土”になりたいとの思いで困難な状況で昨年末にLAから日本にたどり着いた。そして、丁度一か月後に日本の土になったことになる。その思いを考えると特別な感慨を覚える。氏の日本に対して、また氏の母校である青山学院大学に対しての思いはわれわれには測りがたいものがある。
 これは私の思い込みかも知れないが1941年樺太生まれの氏は5歳の時に北海道に引き揚げられ、その後青山学院大学法学部に入られた。氏にとって日本の中心である東京の、青山キャンパスでの勉強は間違いなく日本人としてのアイデンティティを実感する日々ではなかったのではないか、ともかく1985年氏が森永乳業のアメリカ現地法人の初代社長に就任した頃の日本の世界でのプレゼンスは絶頂期にあったはずだ。そして、最終的にはあのアメリカでアメリカ人の食スタイルに一石を投じたのである。
 世界で活躍をする日本人を育成することを念願とした青山学院大学の理想を身を持って雲田康夫氏は実現してくれた。
 氏が、どうしても“日本の土“なりたいと思う気持ちに今の日本人がどのくらい思いをはせることができるか分からないが、そういう気持ちを持った日本人を失ったことがものすごく残念である。青山学院からの依頼で運よくたったの2時間ではあるが雲田氏にインタビューをする機会を与えられたが、こんな体験ができたことに感謝したい。
しかし、氏は今頃そんなことを気にせずに吉幾三の「故郷」を口ずさんでいるに違いない。
 
                                  泉利治
2020年2月24日

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