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Column

73歳の同窓会

 「70歳の同窓会」という小説をkindleで発売している。それは私自身の体験をベースにしたミステリータッチの小説なのだがその中のモデルにしていた人たちとは年に2回は会うことができる。小学校と中学校のそれである。私はそう言われれば都会っ子かもしれない小学校から最終教育を受けたデザインスクールまで目黒から通っていた。
 その中で今でも集まることができるのが小学校と中学校の同窓会である。それぞれ年に一度は必ず開催される。その秘訣は面倒見の良い、地元に住んでいる同窓生がいるからである。したがって、その同窓会は必ず目黒のどこかで開かれる。まさにホームカミングである。
 昨年末に開かれた恒例の中学の同窓会は悲しい報告でスタートした。二人の同窓生が亡くなったのだ。私にとって感慨深いのは二人とも小学校からのクラスメートだからであった。それもどちらかというと彼らの家まで行って遊ぶような友達であったからだ。今から考えると彼らに共通しているところは双方ともいわゆるお大尽の家であった。
 目黒といえば高級住宅街のイメージがあるが最近、それゆえか何かと世の中を騒がしている。同窓生O氏曰く何か悪いことをする容疑者がよく目黒に住んでいるのですよ・・とこぼしていたが、少し前に世の中を騒がした沢尻エリカも目黒の高級マンションに住んでいた。そのマンションから出かける姿を何回もテレビに映し出されたことが記憶に新しいが、そういうことらしい。
 しかし、私のいた頃の二人の友人の家は本当の高級住宅街の中の家であった。したがって商家であった私の家には友人を招くことができなかったが正真正銘のお屋敷に住んでいた友人の家には良く遊びに行ったものである。
 昨年11月に亡くなったK君のお父さんは日本人で初めてコロンビア大学を卒業されて領事館に勤められた人であった。それでも家族は目黒に住んでいたのでお父さんは単身赴任をしていたのであろう?その友人はそのような父を見て育ったのだろうがフランスの美術大学に留学した。彫刻を学んだのである。しかし専攻はエマーユであったようで、そんなことから本考を書くにあたりエマーユについて調べるとまさにエマーユの本場がフランスであったことを知って一年前であったら彼とその学んできた本業について話を聞けたのにと思い悔やんでいる。
 彼は自分の本業の仕事が日本にはないのでいわゆる彫刻であるモニュメントやお墓のデザインなどをしていたがもしかすると一番近い仕事は東京ディズニーランドのお土産のメダルなどの彫刻だったかもしれない。彼からいただいたそんなサンプルがまだどこかにあるはずである。そんなことで彼はいわゆるフランスで学んだエマーユに関連した大学で学んだことを日本の市場に合わせてその後の40年近くを生きてきたのである。
 どういうわけか小学校の同じクラスの卒業生で美術関係の仕事をしている人間が私を含めると3人いたことになる。私の場合もあの時代ではデザイナーを目指すということはその範疇に入るからである。もう一人は女性でこの方も亡くなったK氏に近い美術を志向した。彼女からポーセレンペインティングの本を送ってもらった。彼女が西洋画をかける額縁のコレクターであることを知ったのでサザビーズのオークションカタログを上げたお礼である。
 私を含めたこの3人に共通していることはヨーロッパの写実的な絵が原点にあるところかもしれない。私の年代の共通項かもしれないが、元気のよかったころのヨーロッパに憧れを持っていた子どもたちだったのであろう。
 K君に話を戻すと彼は小学校の卒業生の総代として答辞を読んだくらいの秀才であった。この歳になって思うのはあの家庭ならではの秀才揃いの兄弟が3人いた。そんな彼が一度、私の麻布十番の会社に来たことがあった。私の仕事柄、何か彼に関した仕事があると考えたのであろうプロポーザルとサンプルも持ってきた。
 当時の私の会社は麻布十番の新しいビルのワンフロアを借り切っていたので、彼は驚いたらしく“君は成功したんだな・・・”と言ったことが印象的であった。私に言わせれば成功なんてなことは時流に乗っただけを意味しており、私のその仕事はたまたま時流だっただけであった。彼の仕事はそうではなかった、18世紀のヨーロッパの貴族階級を市場としていた仕事だったからだ。フランスにいても仕事がなかったかもしれない。それだけの話である。その後、彼は現代の日本で自らの市場を創造し開拓していったようである。
 そのプロ意識は死ぬまで維持された。自身が病気であることをそれこそ死ぬまでひた隠しに隠した。一人で仕事をしている人間にとって当人が病気であるということを知られることは仕事を発注しないということにつながるからである。死後、僚友にあてた手紙を見せてもらったがそんなことが書いてあって、そのプロ意識に唖然としたものである。その執念こそが優等生の証だったかもしれないからだ。彼の冥福を祈りたい。
                                  泉利治
2010年1月20日

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