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Column

イタリアンレストラン“バルダルノ”の回想

イタリアンレストラン“バルダルノ”の回想

J社のその仕事の依頼は極めて珍しい依頼であった。当時、その買収したイタリアンレストラン名は失念してしまいましたがそれなりに知られたショップブランドでした。そのブランドとそのマネージャである人物も一緒にJ社に採用されたようでした。したがって、彼はJ社でもそれまでのブランドで運営してほしいと思っていたようであった?
 しかし、J社のトップマネジメントのK氏はやるからには新しいイタリア料理レストランチェーンを創りたかったので、インターブランド社の協力によって他にはないような違う切り口のイタリアンレストランチェーンを創りたかったようであった。

そのプロジェクトを担当した私は、その意志を確認しビジネスの広がり、独創性などを勘案し「イタリアの名家の生活と食」というコンセプトを思いついた。そのヒントはある本から得たのだった。
本プロジェクトでは一人のイタリア貴族のライフスタイル-生活、食、生き方からヒントを得ようとした。幾分、読書家の私はイリス・オリーゴがまとめた「プラートの商人」という本と出会った―偶然かプロジェクトの調査研究の一環からみて副題が良かった「中世イタリアの日常生活」と書いてあるではないか?ただ、時代は1400年前後の話しなので、少し古すぎるのではと思ったが私はイタリア料理というモノは何百年という歴史の中で育てられたものなのでそこに純粋の、本物のイタリア料理のヒントがあるに違いないと思ったのだ。
それ以上に良かったのはその主役はプラートの繁栄の基礎を築いたフランチェスコ・ディ・マルコ・ダディーニという実在の人物であった。その人はいわゆるビジネスマンで彼の実績でプラートという街が出来たようなスケールの大きな商人であった。
その彼が特別な理由はかれが残したビジネスの記録であり、超リッチなライフスタイルであった。彼が王家につかえる役人ではなく,商人であったことは根本的な意味でわれわれと同じであり、かつ普遍性があったことは基本的なブランド価値を創るにあたり、ダイレクトに価値を共有できることが分かった気がしたのだ。
それにその人物の行動記録は全て事実であった。というのは600年以上もの前の生活&ビジネスの記録(帳簿と書類、日記など)が当時のままで階段下の穴倉に放り込まれていたのが1870年に発見されたものだからである。
これらの膨大な資料を紐解き、分類され、中身を調査研究するのに150年の年月や必要なのでしょう。私が参考にした資料はイリス・オリーゴという英国生まれのイタリア人の作家で歴史書や伝記を書いて大英勲章を授与された人物である。―この女性の作家は1988年に亡くなっている。
この本が私の仕事に役に立ったのは第一部が「商人」第二部が「家庭生活」と別れていた点である。第二部の内容を列記すると「夫婦、家族、家族の友人、家、農園、私的帳簿、
食物・酒・医薬、疫病と悔悛、晩年」とわかれており、いわゆる当時の富裕層のライフスタイルが事細かに分類され記述されているのである。私はそれらのヒントを手に取るようにアレンジし、新しいイタリアンレストランが貴族の館の一室であるかのような物語と演出を事細かにプレゼンテーションしたのである。余談だが私のプレゼンテーションを聞いた取締役は最後にこう述べた。

「私は仕事柄アメリカ、ヨーロッパのいわゆる企画戦略の超一流のクリエーターのプレゼンを受けて来たたが今回の提案プレゼンテーションを超えるモノはなかった・・・」
その第一声の評価でその場は氷着いたように静まった。私にとっては最大の評価である。
その後、私は日本のイタリア料理の権威ある有名な(名前失念)人物との会談を得て、このプロジェクトが本格起動することになったのであった。

その後の最大の仕事はどこの荘園の貴族と契約するかであった。結果はソンニーノ伯爵?の荘園だった。かれの壮大な敷地の中にある屋敷で食事をしたのを覚えている。わたしの企画の中で取り上げたモデル貴族をバルバリーゴにしていたので彼はそれを知って
「かれはヴェネツィアの貴族だよ!」といって貴族年鑑をさし示してくれた。イタリアでは貴族同士のネットワークがあり、機関誌などもあるようでやはり、根強いつながりが何百年も続いているのだろうと思った。 
 数か月後、私は基幹店である銀座店のオープニングセレモニーに招待され。総責任者と肩を組んで歌った。
                            2026年3月2日T>I

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