私は東京に35年近く住んだ。山形から父の都合で大森、目黒と二か所だが大森には3年くらいしか住まなかったので、目黒に32年間住んだことになる。
住んで面白かったのは大森である。海が近く、山も近かった。海は大森海岸で,山は山王である。山王と言っても現在はそんな面影がないと思われるが、今から70年前はまさに山ばかりでその中で結構、冒険がましいことをやって楽しんだ記憶がある。
そして、その反対側には大森海岸があり、現在は埋め立てが済んで海はるか遠くに去ってしまったが、私が住んでいた頃は国道から海をみることができた。また競艇場の隣で泳いだもので思い出すのはタツノオトシゴを捕まえたことだった。今でもその姿を思い出す。
5歳の記憶だが映画好きの母に連れられて海底の中をタツノオトシゴの背中に乗って戦う史劇の洋画を観た。私が見た映画の最初の頃の映画であった。なんとなくギリシャかローマ時代の映画のようだが、海の中だが映画の人間は地上にいるように動いていた気がする。海の中ではタツノオトシゴが馬の代わりをするのかと子供心に思ったが、まだその頃は海すら見たことがないので変とも、嘘っぽいとも思わなかった気がした。
故郷というところについて書いているのだが、子供にとっての故郷は自分が住んだところが故郷という感じなのだ。そう考えると時間的には短かったが大森は第二の故郷のような気がするし、その次の目黒は第3の故郷で、鎌倉は第4の故郷ということになる。
ところが先日、麻布十番駅で地下鉄を降りて神社脇の地上に出るとここが何とも第5の故郷のような気がするのである。ここは済んだ場所ではなく私の創業の地であるのだからだろうと思う。というのはその道は会社を創設した頃は今の賑わいなどはなく道は広いが車の数も現在のように頻繁ではなく、今では想像ができないくらい寂しく、日が暮れると車の数も減り、現在の賑わいからは想像もつかない、寂しい道に代わるのであった。
ただ、一番の驚きはその頃、サッカーのワールドカップが開催されて、その頃でもにぎやかであった一の橋あたりの店でサッカーのテレビ中継をやっていてそれを見ている客の歓声が麻布十番稲荷の近くにあった私の会社の事務所まで聞こえてくる、というよりその道をつたって歓声が津波のように上ってくるのである。今と違って車の本数も少なく、いわゆるその道の界隈は夜になるとシンシンと静かになるので、飲食店のテレビ観戦をしている人たちの声が一の橋の方から六本木ヒルズの方へ駆け上るのであった。
それから少しして六本木ヒルズがオープンするとそちらの方向から逆に一の橋の方に向かう車が増えだし、いっぱしの都内の繁華街らしくなったのであった。私は麻布十番で10年ばかりブランディングの企画事務所を開設したので初めての創業地ということもあり特別の思いがあるが、残念ながら一緒に立ち上げた二人はまったくそこが気にいらなかったようで、元の上司がそこに事務所を構えたいという希望を優先してくれたのは良かったがその思いやりはそんなに持続しなかったようであった。
10年くらいして廃業し、いわゆる予期せぬリタイア組になったのであった。しかし、どういうわけか私の会社より」少し後にオープンした六本木ヒルズや麻布十番は成功し東京ならではの代表的な繁華街に生まれ変わったのであった。ちなみにその頃のパートナーた
ちが憧れた創業地のは銀座か青山らしかったが、私にしてみればそれらは手あかのついた場所であった。
先日、毎年の恒例でお世話になっている税理士さんとの年末の会食をお願いしているのだが彼と楽しい夜を過ごすのにふさわしいのはやはり六本木ヒルズや麻布十番のような気がして、ここで貴重な情報交換をするのであった。いつものことだがヒルズの橋からみるけやき坂のクリスマスイルミネーションを見るとここは何となく番外の故郷のような気がするのである。
泉利治T>I20251130













