ブランドワークス

Column

戦友からの伝言

 戦友シリーズとでも言うようなテーマが続いているようだが、今回は戦友からの伝言のような気がするので、2日前の体験を忘れないうちに書き留めておきたい。
 私たち3人を入れた話である。もう一人の人物が登場する。K氏は現在、世界的なグローバルカンパニーのトップであり、私が彼の会社の仕事ができたのはわが戦友のお陰である。インターブランド社でアカウントエグゼクティブであった、わが戦友はこの世界的な会社のブランドの仕事を獲ってきた。お陰でこの20年間で4つのブランドを手がけることができた。
 ブランディングのプロジェクトでは担当するブランドによって全く仕事の中身が変わるが、その会社の仕事をすることはどれも誇らしい気分にさせてくれる仕事ばかりだった。とくにグローカルブランドプランナーの私にとってはワールドカップのベスト8に入ったような気分になるものばかりである。このように同じクライアントの仕事を20年も続けられることはプランナーの能力というよりアカウントの力である場合の方が大きい。この世界的なグローバルカンパニーの誇らしい仕事ができたのは戦友とK 氏のつながりがあったからこそである。
 戦友が7月10日の未明に亡くなった時のことを考えると、今でも胸が締め付けられる。最後の言葉を誰に伝えるではなく、それこそ自身が知らないうちに召されたのではないかと今でも思っている。したがって、たくさんの仕事をかかえており、責任感の強い彼は許されるならその一つ一つに何らかのメッセージを誰かに残したかったに違いない。
 昨年来のK氏との仕事も全てが終わったわけではなかったので、その件が心残りであった。今年の初めころK氏からその後の進捗の経緯が戦友から伝えられた。というのは私とK氏は直接連絡を取るというような間柄はなかったからである。したがって、戦友が亡くなった時、彼との仕事はもうあるまいと思っていた。私たちは通夜で、短い言葉を交わした程度であった。
 3日の朝、なぜだか分からないが私はK氏にメールをしなければならないという思いで明け方の5時位に目が覚めた。連絡先が分からない、彼からのコメントや資料等が戦友経由でいつも来ていたのでそのデータを探して見たがK氏のアドレスは判らなかった。名刺録はどうかなと思ったが、私はリタイヤする時、すべての名刺を処分したので古い名刺はない。ただ、この3年間の名刺はあるかもしれないと思ったので調べると運よく、そこからK氏のアドレスを知ることができた。
 私はそのとき、今やろうとしていることは戦友の意志なのではないかと思った。かれの営業スタイルならそのような電話かメールを送るからだ。私はK氏に戦友が亡くなったその後の経過や私たちのメインプロジェクトが終わったことなどを書いた。書き終えたのは6時に近かった。
日曜のその日は故障した私の自動車のセンサーの部品が入ったということで午後に出かける予定であり、何かと午前中にしなければならないことが多く、すっかり朝送ったメーるのことは忘れていた。何の気なしにメールを確認すると次のような書き出しでK氏からの驚きのメールが入っていた。
 「元来、虫の知らせといった類のものは信じない性格なのですが、今朝は本当に驚きました。と言うのは昨晩、泉さんは最近どうされているかなと思いたち、連載されているコラムを開いて、”戦友”や”青学プロジェクトの経過”などを読んだばかりだったからです。その数時間後にご本人からメールをいただくとは!~」
 驚いたのはこちらもである。これは偶然なんかではないと思うのは私のような体験を持った人間、特有のものかもしれない。亡くなって1,2週間なら亡くなった人について同時に考えることはあるかもしれない。しかし、亡くなって4カ月近く経ち数時間のうちにまったく、どこに住んでいるとも知らない人同士が同じことを考えてメールを送ったのである。そこに何らかの意志が働いた?その戦友が報せたのだろう?と思うのが自然である。
 私は亡くなった近親者から私の家族に何か致命的なことが起きる前に何度か報せを受けたことがあった。そんな体験から私の家族をあの世にいる人が守ってくれているという妙な確信を持っている。それは血の繋がりがある肉親だけだった。しかし、今回だけは違ったようであった。ただ、これは確実に思ったことだが戦友は多分、何らかの連絡をしてほしいと思ったことは間違いない。戦友はこれまでの職分をこえてもこれを実行してほしいと思ったろうし、受け手のK氏には私から連絡がいきますよと事前に伝えたに違いないと思わざるをえなかった。この話を次の日に戦友の残された奥様に伝えたのだが“主人はサーフィン三昧の生活を送っていると思ったのですが、仕事もしているのですね。鳥肌がたちました・・・”とラインが入った。
信頼しあっている人同士はどちらかが違う世界に行ったとしても伝えあうことができるのかもしれない。私は今年の3月頃同じような体験をしたが、その時は40年近く前に亡くなった母からの伝言であった。
 神や仏からの伝言はこれまでにないが(信心が足りないせいである)、遠くに行った身近にいた人からの伝言は何回か受け取った。そのお蔭で致命的な陥穽におちることもなかった。仏教では人は亡くなると仏になるというが、それは本当だと思う。
 
シャーロック・ホームズの作者のコナン・ドイルは晩年、死者との交信の研究に没頭したそうであるがかれはれっきとした医者だったので単なる興味でそこに行き着いたのではあるまい、何かのキッカケがあったに違いない。そんなことをネットで調べてみるとドイルの話も含めて今回の話のような本があった。タイトルは「死者は生きている」。本当のような気がする。
                                   泉利治
2019年11月18日

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