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Column

いつかはクラウン

 わたしがデザインスクールで自動車デザインの課題に取り組んでいたころ、まことしやかに言われていた言葉である。そこには人生で登りつめた男の満足とそこに至るまでを演出するリアリティを上手く表現していた。トヨペットクラウンはいわば社会的成功を演出する最大の小道具だったかもしれなかった。そんなこともあって、何年かのモデルチェンジの際は新聞には全紙広告で、テレビではそのデヴューを祝すような華々しいCFが流れたものであった。
 クラウンに対抗するためにライバルの日産はセドリック、プリンスはグロリア、三菱はデボネアなどを用意したが明らかに役者が違うという感があった。そんなクラウンにライバルらしきものが現れたのが、外車であった。それまでの外車にはない外車が登場してきた。ベンツである。その記号力はクラウンに匹敵するようになってきた。クラウンの何割り増しでベンツが買える?ということになるのだが当時の外車事情は面白い。
わたしの記憶では街中を走っていた外車の多くがアメ車だった気がしている。クライスラーやフォードだった。家の近所の病院の駐車場にサンダーバードが止まったというので見に行ったが、長嶋茂雄だったか、石原裕次郎だったか?忘れたがそのどちらかの車だよ、といわれて近くで見て、カッコいいなと思ったのを今でも覚えている。たしかボディー色はクリーム色だった気がしている。ともかく、高級車とはアメ車であった時代なのである。
 たとえばわたしのデザインスクールは赤坂にあったが、当時あの辺りには外車ディーラー店が多くあり、そのショールームにはピカピカの外車が展示していた。デザイナーの卵にはいい勉強の場になったが、一番ありがたかったのはそれらの外車のパンフレットが手に入ることだった。それらの外車のパンフレットのほとんどが精密なイラストレーションで描かれていたのでレンダリングの教材になったのである。今でもそれらのパンフレットがあるが、どれも捨てがたいものでプレミアムがついて売れるようなものばかりである。しかし、そのような魅力的なプロモーションを行ったのはアメリカの自動車会社である。記憶している限りヨーロッパ車の魅力的なパンフレットはサンビーム・アルパインという2座席スポーツカーのものだけであったが、それは日本の大きなディ―ラーが扱った車種の一つであったようである。その自動車は「007ドクターノウ」に登場した初代のボンドカーだ。
ヨーロッパ車のディ―ラーがあったとしても地味に展開しており、積極的に売ろうとしていた気配はなかった。したがって、代表的外車がいつヨーロッパ車に変わったのかの記憶が定かではない。しかし、よく考えるとルノーやビートル、ヒルマンなどのヨーロッパ車のタクシーに乗った記憶はある。確かにそれらは多かった。ただ、日本の自動車メーカーがノックダウン生産したものであったので外車とは違っていた気がしたものである。外車とは後部が矢のようになっているものを言っていたからだ―アローライン
 そのうち、代表的な外車がベンツになりかつてアメ車が担っていた、それらしい社用車や公用車に使われ始めてきた。もしかするとアメ車が担っていた間隙をクラウンやセドリックが補おうとしたのかもしれないが、そうはさせじと頑張ったのがディラーのヤナセだったのかもしれない?ベンツは社用車、公用車としてはアメ車のような派手さはないが、耐久性もあり、その役割を完璧に果たしたのだろう。
本来その役割を担うべくクラウンは努力したのだろうが、同一車種を自家用車、タクシー、社用車に展開させているのでイメージ的にも無理があった。しかし、今度はそんな中途半端なクラウンの間隙を縫ってベンツなどのドイツ車勢がクラウンの主要市場である高級車市場にふさわしいモデルを売り込んできた。そのころ日本の一般消費者の所得も上がり、目も肥えてきたのである。3代目の自家用車に近所の人の何人かがベンツを買えるようになったのだ。本来、トヨタがクラウンに乗ってもらいたいと思った人たちである。「いつかはクラウン」とだれも言わなくなった。クラウン終焉の始まりである。

今日の記事(11月12日)によるとクラウンを発売中止にするか、ワンボックスやSUVなどのタイプに変更するかを迷っていると言われているが、そんな安易な策ではあまりにも名車であるクラウンに対して失礼である。
わたしに言わせればクラウンの問題の第一はデザインの拙さである。たとえば本来クラウンのデザインがレクサスLS500並みの質を持っているべきであるが、現状デザインの酷さはどうしようもない。それにやはりクラウンはセダンもしくはセダンのあたらしい形を提案するべき存在であろう。私は本来セダンが嫌いな人間であったが現在のBMW330Xiのおかげでセダンを見直している。本来の自動車の原型の良さを持っているからで、この範囲の中で新しい時代に適応させたセダンを開発することこそクラウンブランド守る道である。
そのためにはトヨタのデザイナーでは限界がある気がしないではない。つまり、細部の詰めが弱いのである。たとえばCHRや新しいSUVなどの斬新さは見事であるがあの路線でクラウンのデザインイノベーションを起こせると考えたとしたら、とんでもない火傷をするだろう。
 比較してほしいのは最近のヨーロッパ車のデザインである。ベンツやフォルクスワーゲングループ(VW、AUDI,PORCHE)、VOLVO、アストンマーチン、FIAT等々。それに比べると日本でまともと思うのはMAZDA、LEXUSくらいで?HONDAも今一であるし、トヨタもそんなに褒めたものではない。トヨタの場合、斬新で着眼は良いがボリュームゾーン客ならこの程度のデザインで良いという手抜き感があるのだ。たとえば同じ価格帯で同じ顧客層を狙ったものでVWのモノと比べてみるとイイ。一つ一つの詰めの精緻さは見習うべきである。顧客を見くびったところがない。余談になるがBMWはひどくなっている特に、あのキドニーグリルの処理が下品であるし、それゆえに自動車の品位を台無しにしている気がする。デザイナーが拙いのか、それを決める人が良くないのか?
                                  泉 利治
2020年11月30日

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