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Column

ロングセラー

 私の小説を電子書籍として発売中である。これらの小説は純粋に書きたくて書いた本で私自身が再読したい本ばかりである。宣伝文句ではなく無性に読みたくなるのである。それはお気に入りの場所やお気に入りの音楽が切れると禁断症状が起きるのと同じで、生理的にそれを満たさないと収まらない小説ばかりである。
 表題のロングセラー小説は「宗達はじまる」のことで、謎の天才絵師俵屋宗達の知られざる生涯の謎の期間に焦点を当てた小説で、なぜこの絵師が天才だったのかという理由を解明した小説である。私はその他に2冊を電子出版しているが何年かの歳月を研究して書いたこの本がロングセラー本であることを正直嬉しく思っている。なぜ、ロングセラーといえるのかというとkindleというアマゾンの電子書籍は毎日どれだけのページが読者によって読まれたのかというカウントが毎日確認できるからである。「宗達はじまる」は昨年の1月3日に発売したのだが毎月原稿料が私の口座に振り込まれるので分かり、見ようと思えば毎日、読者がどのくらいのページを読んだのかを確認しようと思えばできる。
 私のその本は決して安い本ではない。一冊1754円でハードカバーの小説の価格である。
この電子書籍で稼いでいる人は多分価格を安くして、小分けに出しているのであろうと思われる。週刊誌の漫画を売る要領なのである。小説でいえば新聞小説のような単位で100円とか、週刊誌の小説のボリュームで200円とかにするのである。塵も積もれば大きなお金になる。という事なのだが、私のそれはそれらの手法はとらなかった。
 他の2冊の本は「横浜旧市街エリスマン邸127番地」と「血の系譜」である。横浜旧市街はノンフィクション的フィクションとでも言える実話に基づいた小説で、血の系譜は完全な小説である。「血の系譜」は「宗達はじまる」の姉妹小説であり本来2冊で完結した小説になるはずだったのをテーマを鮮明にするために性格の異なる小説を分離することで読みやすい本にしたのである。これらの本は宗達はじまるに比べると売れていない。時々、横浜旧市街が読まれる程度で「血の系譜」にいたってはこれまで2,3冊しか売れていないのではないかと思われる。
 
 なぜ、「宗達はじまる」がロングセラーになのかを考えてみると、俵屋宗達に興味をもった人がこの人物をもっと知りたいと思った時、学者の書いた宗達本では物足りない部分を感じるからなのではないかと思われる。辻邦生や柳広司の描いた宗達像とは異なる宗達像を楽しんでもらえればうれしい限りである。私が出版してから半年後に柳氏が宗達本、それも謎の部分に焦点をあてた小説を出版したが、書いた動機は私と同じである。しかし、彼の宗達像はほぼ辻邦生と同じで世事に無頓着な芸術家肌の人物のようである。
 天才宗達というとそんなボケた人物像をイメージするらしいがその由来はどこから来るのか不思議であった。辻邦生の場合は本阿弥光悦、角倉素庵との人物比較の中で描いていたので宗達を画家のステレオタイプであるボヘミアン的無頓着人間にせざるを得なかったという事情はあるが、柳氏がそこから出発した理由は分からない。
 私の宗達像は光悦や素庵を超える人物はどのようにして生まれるのかを検討した結果生まれたもので、どちらかというとバッハ一族のような連綿と続いたスペシャリスト家系の中からしか天才は生まれないだろうという根拠がベースになっている。その点からいうとかなり科学的な根拠がベースになっている。天才は一夜にして生まれないというのが私のスタンスなのである。そして、そのような自信の裏付けが最先端の市場である京都での成功につながっているし、それがあの百戦錬磨の光悦とも互角に渡り合うことができた根拠になっているのである。この連綿と続いた血こそが俵屋宗達の天才の起源というのが私の宗達本のバックボーンになっているといえる。
 ちなみに姉妹本である「血の系譜」そんな明るい宗達の血統に対して暗い血統を持った人物の悲しい人生を描いている。ともかくそんなことを頭に入れてこの2冊を読んでいただければ面白いと思われる。
 
 現在の私は経営コンサルティングの仕事に追われて小説を書いている時間がないのが残念である。そんなことから、いま考えていることは「宗達はじまる」を中身のより濃いものしたいということである。要するに小説として当時の時代や環境を書き込みたいのである。残念ながら宗達が生きた桃山時代から江戸初期あたりの時代を描き切れていない気がしている。
 宗達の価値観を形成したのは時代としては桃山文化であり、奈良仏教の持つ楽天的な気分であり、生き馬の目を抜くような京都文化である。それが平安時代に起源をもつ貴族文化の中で昇華していったと言えるのではないか、つまり日本文化の濃密な空気の中を宗達はあの物怖じしない楽天的な性格だからいとも簡単に泳ぎ切れたのである。その凄さは光悦も認めざるを得ないというのが私の宗達像の骨格なのである。したがって、特に時代の空気というようなものをもう少し付け加えた「宗達はじまるヴァージョンアップ版」を書かねば思っている。
たとえば古田織部は俵屋宗達の大恩人である義演とほぼ同じ時代を生きた人であるので宗達と同じ空気の中で生きたと思われるが、あの自由さは何となく宗達の底辺にあるモノと共通する気がしないではない。芸術の観点から見てあの時代はどの領域も自由さの点で現代に近い時代のような気がしている。まして宗達は市場経済の真只中で芸術におけるシリコンバレーのような京都で絵を描いていたのである。そのあたりを付加させられたらさらに素晴らしい宗達本になるのではないかと思っている。
あの当時の空気感のようなものを描きたい。そのためには体や頭を桃山モードにしないととてもじゃないが書けるものではない。そのあたりの手がかりを何から得るかを考えているのだが?それはそれで楽しいのは専門の小説家ではないからであろう。

泉利治

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