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Column

連想

 年の瀬になると何かと人との繋がりが感じられるような機会に気づかされる。先日も中学校の同窓会の報せが電話によってもたらされた。こんな機会でもない限り電話などこない人物からなのだが話し出すといろいろ話が弾むものだ。この同窓会はどちらかというとかなり私的な同窓会で幹事と思しき人物の裁量で連絡が来る感じなのだが、昨年についで今年も来たことになる。理由は、私は参加が予定されている先生が担任をしていたクラスの生徒だったからである。
 公立の小中学を出た人の共通項は学校区という地域である。したがって、幹事になる人は基本的にその地域に住み続けた人が担う場合が多い気がする。60年間学校の近くに住んでいた人だ。私は目黒に30年間住んだ。小学校の半分、中学、高校、デザインカレッジと、基本的にわが青春は目黒にあり!という感じなのだが、今回の話で驚くべき情報がもたらされた。
 以前、本考でロシア革命の亡命者の話を書いた。アレクサンダー・クラブソーフという人物の話なのだが、私はその人物のその後が知りたくて幹事にその人物のことを訊いてみた。というのはその人物の家と比較的近いところに彼は住んでいたからである。話はこうである。
“あの人は30年近く前に亡くなったよ”
“では、あの大きな土地や、屋敷はどうなったのだろう?子どもはいなかったようだが?”
“ああ、教会に寄付したらしいよ。教会・・・知っているだろう。新栄教会だよ”
ただ一瞬、その教会を思い出さない。私の家業が新聞販売店だった関係で地域の事情はかなり詳しいがもう30年以上も前の話では即座には思い出せないものだ。
“しかし、かれはロシア人だからロシア正教だろう?そんな教会があったかな・・”
“新栄教会だよ…ニコライ堂の・・・”そのあたりから話が見えなくなる。そんなところにロシア正教会の教会なんてあるかな?それに目黒からニコライ堂まで通うのは遠すぎる。しかし、正当な信者はそのような距離はいとわないと思われるが。ということでその新栄教会はロシア正教の教会であるとして話をきいた。
“あの教会は慰廃園の中にあった教会で、ハンセン氏病患者の亡骸を弔う必要性からできたらしいよ、その慰廃園はあのあたりに広大な地域を占めていて、栗原んっちや小寺んっちのあたりまでがその敷地で・・・”
 その話は実際に驚くべき話であった。私はその話のあとすぐにその慰廃園についてネット検索をすると、その施設は1873年に来日したアメリカ長老派教会の伝道局から派遣された女性宣教師によってつくられたことや、1942年の太平洋戦争中に廃園になり、中の人たちは全員多磨の全生園に移されたことなどが書いてあった。
 そこで第一番目の連想がつくられた。1873年と言えば、青山学院の創始者ドーラ・E・スクーンメーカーが来日した前の年である。その年に日本ではキリスト教の宣教が許されるようになったのだ。では、どこの教会なのかを調べるとアメリカ長老派教会で同じキリスト教のプロテスタントだがスクーンメーカーのメソジスト派とは違う、カルヴァン派であるらしい。いずれにしてもアメリカの女性宣教師のケート・M・ヤングマンらが中心になって日本で活動を始めたのだが、最初に根を下ろしたのが築地の居留地だったらしく、築地新栄町に女学校を設立する。一方、スクーンメーカーは麻布の津田仙宅に学校をまず開き、その次の年にやはり女学校を設立するが、麻布近辺を何回か移動する。が最後はやはり築地に「海岸女学校」を設立する。
 お分かりのように現在でも存在する目黒の新栄教会の名称はその築地の地名にちなんだ名前である。
 そこから驚くべき連想が大胆な仮説に到達する。私の趣味の一つは絵画鑑賞であり、本考でも何回か絵についての考がある。とくに日本画は気に入った分野である。いくつか好きな作品はあるがその中の一つが鏑木清方の「築地明石町」である。

この絵にはいくつかの謎があるので有名である。一般的に絵には決して語られない謎があるものだがこの絵には3つの顕著な謎がある。一つはなぜ、素足なのか?二つ目はなぜ、襦袢を着ていないのか?三つめは朝顔は何を意味するのだろうか?漠然と私自身にもそんなことに気づかされる。専門家ならまだあるかもしれない。
 私は“ユーリカ”とギリシャ語で叫んだ!
ヒントが「築地明石町」という地名である。築地は明治政府が認定した最も国家の中枢に近い居留地である。外国人居留地とは、明治政府が外国人の居留及び交易区域として特に定めた一定の地域のことで、他には横浜、神戸、長崎、函館、新潟などがあり、その地域は日本の中の外国という感じでそこは治外法権の地域なのだ。それも2種類あって、完全に外国人だけの地域と日本人も住むことができる混在した地域がある。横浜の今でも洋館が立ち並ぶ山手地区は外国人だけしか居留が許されない地域でそこでは完全に日本の法が及ばない地域でたとえば自前の消防団を持たないと家が火事になってもだれも火を消してくれなかったり、ここで起きた殺人事件はそこの裁判所で裁かれるなどである。
 鏑木清方はこの絵で何を書きたかったのか?私は自分なりの仮説で想定するとこの絵の女性の髪の毛はほつれているのではないかと思った。それは昨夜の激しい愛欲の結果である。そして、その相手は外国人である。つまり、その女性は外国人相手のこう高級娼婦なのではないかということだ。その女性が目立たないように仕事を終えた朝、かの家、洋館を立ち去る。なぜ朝か?朝顔が咲いている。その朝顔は当時としては珍しい洋風の柵に巻き付いている。そして、人目につかないように急いだのか、素足で下駄をはいている。そして、ひきつめた黒髪はやはり、左右にほつれている。左上の薄っすらと描かれた絵は帆船のような絵である。私は今回初めて気づいたのだが、とすると昨夜の相手は外国商人であり、その男が日本の物産を積んで旅立つのであろうか。 

泉利治

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