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Column

大みそかの墓参り

 今年の母の命日は京都旅行中だったので墓参りはいけなかった。それだけ今年の京都行きは遅かったのだ。そんなことから帰ってきても何かと野暮用があって気にはなっていたが行くことができなかった。
 そんな今年も終わりかけたころ、そうだ大みそかに墓参りに行こうと思いつき、正月用の松飾りなどと一緒にお墓に上げる花を買って墓参りに出かけた。母の墓を建てて50年近くになるが命日の墓参りが大みそかになったことなどなかったのでそれはそれでいいのではないかと思った。
 快晴の大みそか、こんな時にお墓参りをする人はいないだろうと思ったが霊園に入った途端、車の数が多く、我が家のお墓のある通りはやたらに自動車が止まっている。速度を落としてゆっくりと道を走ると多くの人たちが墓参りに来てお墓をきれいにしたりしているので正直驚いてしまった。
空は快晴で燦燦と陽光が降り注ぎ、風もないので暖かい。我が家のお墓の後ろに車を止めてみるとなんと椿があふれるように咲いている。きれいに丸く剪定したその中にあふれるばかりの赤い花。この時期だからこそ、この景色を見ることができるのだ。私は雑草を取り、持ってきた箒できれいに清掃し、蹲の水を清水に入れ替えて、墓石を束子できれいにした。買ってきた花が意外と少なかったのは蕾が小さいこともあるがやはり少なかったようである。まあ、そう言ってもお墓の脇の椿の木にこれだけの花が咲いているのだから、丁度いいのではと思った。
 ただ、家からお菓子などを持ってくるのを忘れたことに気づき、初めて歩いて売店までお茶とお菓子を買いに行った。わが家の墓は建てた時期が早かったので霊園の中心に近い良い場所にあるので売店や管理事務所などにも近いので何かと便利なのだ。
 考えてみれば30歳かそこらでよくお墓を立てたものだと思った。ただ、それが普通の判断なのだろう思ったがそのあたりのしきたりやルールが分からなかったが母が亡くなり、葬儀を営んで、火葬場に行ってお骨にして、家の中に葬儀屋さんが設えた写真や骨壺をしつらえたころ、その情報をどこで仕入れたかわからないが墓石屋さんが来て、霊園の案内と金額などを教えてくれたのだった。
 ただ、母が残したお金はほとんどなく、とはいっても借金があったわけではなく何とかやりくりすればお墓を立てることくらいは出来そうな気がしたのでいろいろ考えたが母がこんなところに眠りたいと言った鎌倉にお墓を立てることにした。初め都内の近い墓苑ということで青山墓地くらいしか知らなかったし、それともどこかのお寺を決めてそこの霊園にとも考えたが、やはり母が生前、ぽつりと言った鎌倉にお墓を創ることが一番いい気がして、鎌倉霊園にしたのだが、当時は横横が出来ておらず横浜新道から普通の道を経て鎌倉霊園の端の方の入り口から入ったものである。
 その後、横横は開通して鎌倉霊園の近くに出口ができてからそこを利用して山に入ることができるようになった。
 その内、鎌倉に家を建てたことによってお墓には20分くらいで行けるようになった。生前からお墓に近いところに居を求めたのであった。もう、お墓は我が家の飛び地みたいなものである。

 墓掃除を終えて、お菓子を買ってきてお茶とともにお菓子を墓前に置くための準備をしていた時に近くの人が我が家の墓の椿に感嘆したようであった。確かに12月の墓地は色のない寒い月なのである。
“きれいな椿ですね”
“私が10年以上前に小さな苗を植えたのですよ”
“あなたの墓だけが綺麗ですね、仏さんも喜ぶでしょう”
“椿の花が咲いたらきれいでしょう?と漠然と思って植えたのですが、こんなに大きく 
 きれいに咲くのを見たのは初めてなのですよ。大みそかの墓参りは初めてなので“
“・・・うちも植えようかしら?”
“椿は手がかからないし、何もしなかったのですよ。時々、肥料はきちんとやりましたが”
そういえばどこを見ても墓域の中に花が咲くような木を植えているところを見かけませんね“
“これは蹲ですか・・・”
“ええ、仏さんものどが渇くでしょうし、顔を洗うでしょうから、何となくそう思って・・
お住まいは近いのですか?“
“横浜です・・・”
 
墓域に入る入り口の階段をきれいに掃いて私はお墓を後にした。大みそかに墓参りに来るのも悪くないな思った。これでこの一年の最後の仕事をお終えた気がした。最後に手を合わせ、今年もお世話になりましたとお礼を言ってお墓を後にした。
                               2026年1月19日

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