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Column

クリスマスがやってくる

 昨日は11月24日、そして今日が25日。丁度一月前である。私のクリスマスの恒例行事はディケンズのクリスマスキャロルの映画を毎年見ることだ。それを見るたびに他者に優しくなることを想い起すが正月を迎えお屠蘇を飲むとすっかり忘れていつもの自分になる。そうこういって74年目を迎える来年はどうなることや・・・と思いながら、今年のクリスマスに向けて着々と準備に動き出しているようである。
 というのはその第一弾がアマゾンプライムビデオで「ラブアクチュアリー」を観て、昨日は「サンタクロースになった少年」をみたからだ。方やイギリスのクリスマス映画,方やフィンランドのクリスマス映画。それぞれクリスマスの本場のクリスマスを讃える映画である。
 「ラブアクチュアリー」は現代版ディケンズの「クリスマスキャロル」だなと思った。まさにLOVEをテーマに物語がクリスマスに向けて展開されるという話なのである。ディケンズでは超吝嗇な金貸しスクルージが3人のクリスマスの精に導かれ、3つの体験をしてクリスマス精神とは何かということを描いている。そんなクリスマス愛の本場のイギリスのニュークリスマスキャロルが「ラブアクチュアリー」の映画と思っていい。ここには男女の愛、オッと男同士の愛の悲喜こもごもがクリスマスに向けて展開されるのである。
上は英国の首相から、下は小学生の男の子まで、舞台となる国はイギリス、ポルトガル、アメリカと物語は展開する。この映画はクリスマスに愛を成就させようと思う多くの人のそれぞれの境遇から様々な形でそれを実現する。観終るとクリスマスとは愛が主テーマなのだということを思いおこす。観終ってこれほど一つの結論に人を導く物語創作力はさすがにディケンズを生んだ国のクリエイター達ならではの古典になるクリスマス物語である。
昨日見た「サンタクロースになった少年」はサンタクロースの本場のフィンランド映画である。アマゾンのプライムビデオのいいところはこのような映画館では見ることができないいわゆる市場原理にのらないような優れた映画を見ることができる点だろう。したがって、言葉は勿論フィンランド語で物語が展開される。
この映画のテーマはサンタクロースがどのように生まれたかという、サンタクロースの教養小説のような映画なのだ。したがって、サンタクロース少年の物語りなのだがそれがフィンランドの貧しい6所帯しか住人がいないような小さな村で展開される。勿論、物語のシーズンは冬なので信じられないような銀世界の中で70年近い物語が展開される。
サンタクロース少年は突然、家族3人、両親と妹を事故で失う。病気の妹を早く医者に見せるため凍った湖の上を通って近道をしたのだが、氷が割れて3人とも亡くなってしまう。フィンランドの北極圏に近い村なのであろうがその雪景色は絵に描かれた、たとえばアナと雪の女王の背景と見間違うような雪舞台の中の悲劇である。
一人ぼっちになった少年に対して村の議会?は残された男の子をどうするかで話合う。その決断が素晴らしい。6所帯の家族がそれぞれ一年間づつ育てようということである。現在ならいわゆるきちんとした行政機関が対応すべき問題なのだが、かなり昔、日本で言えば明治以前の北極圏の小さな村には現在のような社会システムで対応ができるわけはない。その対応に何となく人間社会の成り立ちの原点のようなものを感じた次第でこれが福祉の起源なのだなとエラク感心してしまった。
その集会で一番最初に手を上げた、乳飲み子がいる若い夫婦・・・自分の家にはいくらか貯えもあるので一年位なら面倒を見られると言って最初に手を上げる。他の人はそれぞれ自分の心の中で次は自分が手を上げようと思ったようである。
6年目の冬は魚が全く取れない年になる。どうもこの村は魚を商うことで成り立っている村であるらしい。7年目からのサイクルにはいった時には手を上げるほど余裕のある村人はいなかった。少年は多分10歳くらいである。まだ一人では生きていけない。その時、変人で通っていた独り者の指物師の男が手を上げる。理由はこの少年が毎日小刀で作っていた木のおもちゃの出来の良さから自分の仕事に役立つと思ったのだ。映画では魔法使いのお婆さんのような奇異な風貌の男との生活が始まった。
そうでなくとも職人の徒弟世界は厳しいのは何となく想像ができる。寒い朝も一番に起きて仕事場の清掃から、家事全般までこき使われる。しかし少年は昔からやっていた木のおもちゃ作りは仕事が終わった後でも寝る間を惜しんで作り続けた。それ等のおもちゃは湖に沈んだ妹に捧げるものであった。クリスマスに湖の厚い氷に開けた穴から木のおもちゃを妹に贈っていたのである。少年はそのうち村の子どもたち全員に木のおもちゃのプレゼントを贈ることを思いついた。一年間そのプレゼントづくりに追われることになる。ここにサンタクロースの原点があったのだ。
少年のその行為を不審に思った親方もだんだん少年の信念に理解を示すようになる。そして、そのキッカケが幼くして亡くなった妹に贈り物をすることであることを知り、少年に実は自分も家族を失ったことを話す。二人は同じ境遇にいたのである。その後二人は子どもたちへのプレゼントを一緒に作るようになる。
何十年も経ったある日二人の元へ親方の二人の息子が訪れて老いた父親の面倒をみるので町に連れていくと申し出る。大人になった少年はまた一人ぼっちで暮らすことになる。別れ際、親方はこの家とベッドの下の木箱の鍵を与える。その箱には親方がタメに貯めた膨大なお金が入っていた。これを今後の人生で使ってくれと言って少年と分かれる。しかしその頃の少年はもう立派な大人である。少年は今まで以上に多くの村々の子どもたちのプレゼントづくりに励む。そのうち、年老いてきた少年を支える大人になったプレゼントをもらった子供が老いた少年をサポートするようになった。しかし、老いた少年にも終わりの時がいつか来る。
そんなことを予期した死んだ妹と同じ名前の少女が心配して老いた少年の家に行くと少年は見えない。暗い外に出ると老いた少年が橇で遠くに行くのが見えた。そしてその内その橇は暗い夜空に舞い上がった。サンタクロースの誕生である。
この物語映画の言語はフィンランド語なのでそのリアリティは伝わってくる。この映画はサンタクロースの本場フィンランドならではのクリスマス讃歌なのである。そしてよく想い起すとこの映画にキリスト教色が全くないことに気づく、あるのは貧しい寒村にあるお互いを慈しむ人々の優しい思いやりの心だけなのである。そこで思うのだが、「クリスマスキャロル」も「ラブアクチュアリー」も「サンタクロースになった少年」も宗教映画ではなく、愛の物語であるということなのである。
何とも偶然なことに今、この日本にローマ教皇が来ており宗教にとらわれない愛を説いている。そうだ、GSOMIAのいざこざも愛でしか解決できないのではないか???真面目にそう思ってしまう。
                                  泉利治
2019年12月9日

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