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Column

日々是好日

 という今日は6月10である。本日の主流のニュースはまず歴史的な米朝会議を2日後に控えて、それに関するニュースが第一。そんな時の昨日に開かれたG7サミット。カナダで開催されたが安倍首相が北朝鮮をめぐる問題で会議をリードし、各国の同意をとりつけた。
 その次のニュースとしてはその2日後に開かれるワールドカップサッカー。一昨日もスイスと親善試合で予想通り負けて、今一盛り上がらない。
 昨日、新幹線内で包丁を持った男が乗客3人を刺して一人死亡。
 朝の6時から書き始めた本考、しばらくして家人がスマホを持ってきて読んでくれとスマホを手渡される。記事は資産運用の失敗談、サテライト方式を進める内容。運よく私は資産運用におけるコア&サテライト方式について知っていたので成程と納得。これは大学の資産運用方式でアメリカの名門校が取っている戦略なのである。
 台風5号が接近している。明日はかなり近づくようである。明日は雨との予想だが、それはそれで困る。明日午前中に娘の自動車を見に都築に行く予定なのである。娘が自動車免許をとって実家に戻ったからだ。私の車を運転してもらえれば助かるのだが私の愛車は左ハンドルのレア車なので乗りたがらない。そんなことから中古車を買おうということで一応、日産のマーチに絞ってはいるが入るが。本当はホンダの車にしてほしかったが、可愛い車の普通車ということでマーチがお好みのようである。確かに狭い道の多い鎌倉にはふさわしい車である。
 もうすぐ7時なので着替えて本日に備えないと、と思う。という本日は72歳の誕生日、記念すべきとは言えないが、そういう歳の誕生日である。72歳の自分を過去に想像しないではなかったが何となく感じるのは想像以上に忙しいという事である。まさか、そんな歳まで日々を圧迫するくらいの仕事をしているとは思わなかったからだ。個人的にはそれまで十分と思うくらい仕事をしたし、それなりの貯えで悠々自適に暮らすはずであった。しかし、世の中はそうはいかないらしい。2社とコンサルタント契約を本格的に結び、アシスタントもいない中で思わぬ苦労をしている。
 たとえばコンサルタント契約にしても今までのノウハウを小出しにしてお金が取れるようなことはなく、カスタムメイドの提案をしないと受け入れてもらえない。そんな時に手助けになるのは①己の感性②日本経済新聞③昔つくった定番チャートと提案書④読みなれた20年前の戦略書。最後にSNSで手に入る情報。そんなもので何とか乗り切ろうとしてはいるが?
 忙しい理由の一つが暇だった3年前やり始めたチェロである。楽器の習い事で困るのは毎日練習しないと上手にならないという事である。他の分野の勉強、たとえば英会話。毎日、決まった勉強をしなければならないということはない。3日間勉強しなくとも何とかなる。しかし、このチェロではそうはいかない、3日練習しなかったならその次のレッスンはひどいものになって、たちどころに練習をしなかったことがばれてしまう。したがって、格好の悪いレッスンになってしまう。そんなことで、いくら忙しくとも30分くらいはチェロに向かってうまく弾けないフレーズのみだけでも練習しないといけない。そのかいもあってやっとバッハを練習してもイイとのお許しが71歳の最後のレッスンで出た。それはいいがこれから他のことで忙しくなるのに3冊の楽曲を練習しないといけない。忙しい時はこれがかなりの負担になる。
 本日、新幹線の中で殺傷事件が起きる。心を病んだ若い人が、将来を期待された若い人を殺害する。それ以上に2週間近くニュースになっている悲惨な事件は5歳の女の子が両親から虐待されて亡くなったことだろう。この二つの事件、何が関連するかというと人の心の基盤が決定した時の悲惨な体験ということだ。5歳の女の子、このまま大きくなってもこの時の心の傷は一生を左右するであろう。人間はDNA以上の20歳くらいまでに体験したことで一生が決まってしまうからだ。
 以上の話は若い人のボトムの話であるが、今の私の仕事はそのトップの仕事である。これはこれで様々な問題を抱えている。国家レベルで考えると日本を支える人間をつくるためにどのような教育をしたら良いかという事である。今年なって私のその考え方を私の範疇であるビジネスという観点から影響のある教育機関に対して提案をした。私の提案の基軸は教育という基軸ではなく、ビジネスという基軸であり、生産性という基軸である。私は教育の専門家ではないからだ。したがって、生産性の高い子をつくるためには?ということになるのだが、簡単に言うとGAFAのようなビジネスを創出する人間がどのようにしたら日本で生まれるのか?という教育を目指すべきであるという提案である。
 こんな提案をしてくる人間はいないと思われるがこれが喫緊の日本の教育のテーマなのである。私の人生の最後を飾る戦略提案なのかもしれないがいい体験をさせてもらっている。
 先日の京都旅行久しぶりの感動は雨上がりの鹿が谷法然院だろう。こんな静寂は滅多にない。歳がいってもこんな感動があるものである。残り少ない人生でどの位の感動があるのだろうか。本来、ただ生きているだけでも感動なのだろう。そう考えると心がけ次第で幸せになれるかもしれない。
 これからのどんな苦労も生きている証としたならばそれはそれで感動かもしれない。そう捉えるとそう願って生きることが一つの生き方なのであろう。心ひとつで道端に落ちている石ころを見ても感動なのかもしれない。禅の境地だな・・・?

泉利治

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