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Column

藤田嗣治

 グローバル時代の芸術家としてだれもが認める藤田嗣治画家。あのおかっぱ頭とロイド眼鏡、そして100年も先取りしていたと思われるイアリング。確かに当時の日本の画壇からは嘲笑されただろうと思う。芸術家がエキセントリックであることが良しと認められるようになったのはいつからだろうか?というより芸術家が聖人君子でなければならないと言われたのはいつからだろうか。少なからず、藤田嗣治の時代の日本画壇はそんな感じなのだろう。
 明治19年生まれの藤田が絵を学ぶために東京美術学校の西洋画科に入った当時の指導教官はあの黒田清輝であった。あの大学の卒業作品は自画像である。黒田は藤田の自画像を酷評する。それが原因かと思われるが藤田は本格的な西洋画を修行をするためにパリに向かうことになる。当時のパリはピカソをはじめとするいわゆる様々な画家による揺籃期、その真只中に放り込まれた藤田は日本から持参した黒田清輝推薦の絵の具を床に叩きつけたそうである。
 藤田はゼロから西洋画に取り組む、かれがヒントを得たのは日本画の手法を取り入れた技法で描いた女性像。藤田は一躍本場のパリで名を上げる。それを知った黒田は日本でどう思ったか分からないが苦々しく思ったのではないか。到底、自分には描けないような絵であったからだ。人間が小さい。
 そのあたりから藤田はパリの社交界にも出入りするようになる。パリの社交界はまさに世界の最先端、そこで注目を浴びることは画家としての望むところである。なぜならば世界で最も早い文化の情報を得ることができるようになるからである。パリの社交界に比べればニューヨークの社交界などはまだ、一時代前のパリの社交界を後追いしていたかのようなものであったろう。
 そのような中で注目を浴びる藤田の姿はそうでなくとも、一周遅れどころか二周も三周も遅れていた日本画壇では非難以外の何ものでもなかったであろう。そんな流れの先に第二次世界大戦が始る。藤田は敵国の国にはいられなくなったと思われる。日本に戻ると軍部から戦意高揚のための戦争画を描かされることになる。藤田に限らず日本のあらゆる画家はそれを描くために戦地に赴く。その中で藤田は嬉々としてその画題のテーマに取り組む。ルーブルで見たドラクロアのような絵が描けるからである。観る限り藤田のそれらの絵は見事である。
 戦争が終わるとそんな藤田には過酷な運命が待っていた。いわゆる戦争犯罪人の汚名である。藤田はある人物からその先鋒にいた画家として、全ての汚名を受けてほしいと言われたそうである。戦争が負けたことによって犯罪人されることに対してだ、それを一手引き受けて犯罪者としての汚名に甘んじて受けてほしいと言われたのだ。いずれかの配慮か定かではないがそれを機に藤田は日本国籍を捨てる。
 藤田の心中は想像するに余りある。この日本という国はなんという国であろうか。この世の中は何という世界であろうか。それで日本には愛想がつきたのであろう。それでもこの画家はフランスで日本人女性と結婚しフランスで余生を送る。かれは何かの手記にフランス語で“こんな人生はたくさんだ!“と書いた。日本でも認められず、フランスでもフランス国民として認められなかったからである。かれは本来、日本でも、フランスでも認められたかったのであろうか?
 藤田は故国日本にこれほど冷遇されるとは思ってもいなかった。私はそんな藤田のミスマッチが戦争画を書いた藤田の姿勢にあったと思った。藤田は初めて日本政府から大きな役割をもらったのである。故国日本のために日本国民を鼓舞するような優れた戦争画を描くことであった。藤田の年代に生まれた日本人のメンタリティー、いわゆる意識構造では国に尽くすということが最高の価値なのである。したがって、日本人をして戦争に向かわせた一因がそのようなことになるが少々、説明に苦慮する構造をもっている。
 
 私はある人物、藤田より3歳ばかり早く生まれた銀行家の生涯を調べることになり、仔細にかれに関する様々な文献を読む機会を得た。日本の銀行界で最高の地位を担ったかれは戦後、GHQから公職追放の憂き目にあう。GHQにしてみれば戦争を遂行するためにお金を工面したということなのだろうが、考えてみれば当時の要職にあった日本人は誰もがその戦争を遂行するために喜んで協力したことになる。お国がやることに間違いはないという前提が当然のモノとしてあったからだ。
 司馬遼太郎の明治という国家の中にこんな文節がある。“維新後、日露戦争までの三十余年は、文化史的にも精神史的のうえからでも、長い日本の歴史の中でも実に特異である。これほど楽天的な時代はない。”藤田嗣治はその真只中である明治19年に生まれたのである。藤田の人生で感じるのは本来持っていた人間性とうまくかみ合わなかった、その後の日本の現実であった。わたしはその二人の人生に影を落とした要因となった国家に貢献する難しさと思わぬ落とし穴について考えている。その反省の振り子がまだ、正常に状態になっていない現状を感じつつこの偉大な二人の人生を考えるともっと日和見的でずる賢く生きたら良かったのにと考えしまうが、それをしないところにかれらの偉大さがあるのだろう。

泉利治

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